三月号(R3)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  東香水講(ひがしこうずいこう)

  

    

  

 

 修二会は練行衆と呼ばれる十一人の僧侶が中心となって二月堂に籠り、十一面観音の前で世の中の平和と安泰、人々の幸福を祈るもの。千二百七十回を数える今年まで、一度も途切れたことのない「不退の行法」である。修二会の行の一つであるお水取り。その行を支える圓玄講社(えんげんこうしゃ)。それが「東香水講(ひがしこうずいこう)」と呼ばれる講社でお水取りの香水桶(こうずいおけ)を先導する。暗闇の中で掲げられる東香水講の提灯の照らす中で、香水汲み上げに直接携われる唯一の講なのである。

 

 

   

  

  

 

 もう十年以上前になるが、この東香水講の宿に一晩お邪魔して修二会の行を見学させてもらった。「東香水講」と書かれた提灯が灯る小さな宿。一汁一菜の夕飯まで頂戴した。そしていよいよ深夜一時過ぎ。東香水講の出番となる。装束に身を固め、東香水講の提灯の先導により練行衆が閼伽井屋へと向かう。真っ暗闇の中での行であり、しんしんと冷える底冷えの二月堂で待つこと数時間。明け方の三時近くまで達陀の行があり、心底冷え切って講の宿まで戻り、みな着の身着のままで仮寝をさせて頂いた。朝方、初音の声を聴きつつ、名残雪の降る築地道を家路についたことが昨日のように思い出される。

 

 

 

   

  

   修二会は過去一年間の人間の罪や穢れを悔い改める行事。なかなかに終息が見えないこのコロナ禍。過去幾度となくこのような疫病、災害を浄化してきた修二会の行に天下安寧を祈願すること切である。

 

 

 

  

    香水講一と夜限りの梅の宿       しぐれ

 

 

 

 雲母の小筥(蕪村忌・日向ぼこ を詠む)    加藤あや

 

  蕪村の忌子規の追慕の余りけり      荻野真理子

 


加藤あやの寸評
 

  

   大阪近郊に生れた無名の青年が、江戸に下り、地歩を占め、京に上って地位を確立。画号は春星、俳号は蕪村と称し、その後、画業は池大雅、俳諧は松尾芭蕉と並び称され
るようになるのである。その蕪村を偲ぶ忌日である。
 俳論「俳人蕪村」を記した正岡子規は、芭蕉を絶えず目標にしながらも、自分探究の深い蕪村を深く慕ってやまなかったのではと思いやっているのであろう作者。
 子規の追慕は、私たちの追慕でもあろうか。

 


 

 



  目は空へ耳は鳥語へ日向ぼこ        別所勝子


加藤あやの寸評

  

   五感は全てゆるやかになってしまう日向ぼこ。その中で目はしっかりと空を見て、耳は鳥語に傾けている、その細やかな具体性が平凡を救っている。

 





心に残る句   小畑よう     

 

 蚊帳の中祖母と二人で本を読む      小畑よう

 

 

 

  

  

    「良いね」
 祖母の笑顔といつもの言葉。小学生の頃祖母から渡された「小林一茶」の伝記。読後に初めて作ったのがこの俳句です。俳句というよりただの一文でしたが、ほめ上手の
祖母からは前述の言葉があり、これが機となり俳句に興味を持つことができました。
 しかし、実際に俳句を始めたのはずっと先。定年を目前に二年早く現職を退いた後のことです。

 

 

 

   

 

   さて、句についての思いですが、俳句のきっかけを作ってくれたのは祖母でした。そこで、本来の意図からは外れているかもしれませんが、
 私と祖母との思い出について記 させてください。

 

 

 

  

   はじめに、祖母はたおやかでしたが芯の強い信念のある女性でした。そして、一貫して私を認めほめて育ててくれました。
故に、平凡な私でしたが何かしら自信があり、興味のあることには躊躇なく挑戦してきました。勿論さほどの成果はなく頭を打つことも多々ありましたが、その度に祖母
からの一言が前向きに取り組む原動力となりました。
この俳句におきましても一緒に蚊帳を吊りはずす行為の中、季語を教わりどうにか作句に繋げていったものだと思います。

 

 

  

   ―祖母からは多くのことを学びました―
そして今、私は祖母の一挙一動を思い出し丁寧に孫と接するように心掛けています。
この度はこのような機会をいただき、改めて懐かしく祖母を回顧することができ本当に嬉しく思います。


一句鑑賞    狩屋可子

会田仁子の一句鑑賞−句集「風の中より」−

 

 

雛流す静かに指を開きけり     仁子

 

   

  

    用瀬のひな流しでしょうか。雛に託して災厄を清流に流し、一年の無病息災を祈るという情緒豊かな民俗行事。
「静かに指を開きけり」という表現に流す人の深い祈りが込められ、そういう動作に着眼した作者の繊細な心情がよく表れていて、やさしい表現ながら深い写生句である。




     

 

  

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