五月号(R3)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  八十八夜

 

  

 

    

 

   八十八夜は立春から数えて八十八日目。今年は五月一日となる。「八十八夜に摘んだ新茶を飲むと病気にならない」と伝わる。日本人とお茶は切っても切り離せない関係であるが、さてお茶はいつ頃から飲まれ始めたのか。お茶の歴史をさかのぼってみることとする。

 

 

 

   

  

  

 

 紀元前二七〇〇年ころから、中国ではお茶を煎じ薬として飲まれていたとある。嗜好品として生活に深く関わるようになったのは唐の時代。そして上流階級の人々がお茶を楽しむようになったのは宋の時代。庶民にまでお茶が広まったのは明から清の時代と言われる。
日本では鎌倉時代に臨済宗の開祖、栄西禅師が宋からお茶の種を持ち帰り、栽培から製造まで伝えたと言われる。以後、室町時代、千利休によって日本独自の「茶道」が生れた。庶民がお茶を飲むようになったのは江戸時代になってからの話。

 

 

 

   

  

 

  長い歴史を持つお茶。「日常茶飯事」という言葉通り、今やお茶は暮らしの中で意識することなく飲まれている。これだけホームステイが長引くと、家庭でのお茶の時間が何よりの楽しみ。ペットボトルで手軽に買えるお茶ではあるが、やはり急須でじっくりと味わいたいもの。新茶のあのまったりとした甘み。この時期にしか味わえない一煎を美味しい和菓子と共にいただきたい。そして頭をリフレッシュさせて、新茶の一滴のような、新鮮な芳香ある一句をものにしたいもの。ステイホームも楽しからずや・・・の気分となって。

 

 

 

 

  

          羊羹は虎屋に限る古茶新茶       しぐれ

 

 

 

 雲母の小筥(針供養・春を詠む)    北川栄子

 

  通ひ船二便増えたる島の春    岩崎洋子

 


北川栄子の寸評
 

 

 冬の間ひっそりとしていた港も船の便が増え、人の乗り降りや荷下ろし等により活気が生まれ、春らしく賑やかになる。二便と言う増便の数も丁度良い感じで、いかにも島に春をもたらしたと言う心地がする。
島に暮らす人々の笑顔が見えてくるようだ。

 


 

 



  渦潮に漕ぎ出す小船瀬戸の春    室田妙子


北川栄子の寸評

  

 鳴門の大きな渦潮に近づいてゆく木の葉の様な小船。近づき過ぎて渦に呑み込まれそうに見えるが、大丈夫らしい。風光明媚な瀬戸内のおだやかな海と、渦潮を起こす荒々しい潮流。どちらも春らしい海の姿である。

 

 

 





心に残る句   宮内渓水     

 

 薔薇を抱きこみ込み上げて来るものを抱き      蔦 三郎

 

 

 

  

 

 この句に出会った時の感動を私は今も忘れない。この句に出会うまでは、俳句とは主に自然を写生して詠むことであり人の感情など詠み込むのは短歌の世界のことで、川柳とは季語の要らない社会風刺を特徴としたものだと思い込んでいたのだ。
しかし、各々の分野において単純に解釈すべきではないと考えるようになった切っ掛けが正に掲句であった。

 

 

 

   

 

 俳人として晴れ舞台と言えば、巻頭祝か何か大きな賞を受けた時、薔薇の花束を抱き感涙にむせんだのであろうか。どんな長い文章よりも十七音の短かい言葉の中に人生のドラマが凝縮されているではないか。
五十年近くも俳句の道を歩いて来ると、喜怒哀楽あり、躓くこともスキップしたい時も果ては転んだこともあったかもしれない。しかし俳句の魔力に取りつかれたのか魅力に取り憑かれたのか現在に至っている。

 

 

  

 

 そして俳句の醍醐味は私にとって感動を与えてくれる句に出会った時である。数知れないほど多くの句に感動してきて、失意の時も俳句を続けられてきたのはその時の感動を捨てきれないからであろう。
川柳に関しての固定観念を見事に打ち破られたことを打ち明けよう。近所に住む川柳作家が上梓された本を読み、俳句と川柳の紙一重との認識を新たにし、情緒豊かな作品も多くあり反省をしたことである。

 

 

  

 

 

 また昔の話であるが、鹿の角切りを見に行き観光ポストにその時の一句を投函した所、何と川柳の部として入選通知と記念品が送られてきたのだ。今もって何故川柳なのか解せないが、素直に喜んだのが次の一句。

       観念の目を天に鹿角切らる

 


一句鑑賞    松田吉上

高木石子の一句鑑賞−句集『顕花』−

 

 

消息はいつも健やか新茶来る      石子

 

   

  

  

  故郷から新茶が送ってきた。そこには「皆、元気にしていますか?こちらは父さんも私も元気にしていますので安心して下さい」と母の添書がある。
少しの恙など伝えぬ方が良い、子達に心配かけてはいけない、子等が元気ならそれでいい・・・。




     

 

  

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