五月雨
日本語には雨を表す言葉がたくさんある。これからは梅雨の長雨となるが、この長雨「ながあめ」だが昔は「ながめ」とも読んだ。和歌などには物思いにふける意の「眺め」にかけて詠み込まれている。村雨(むらさめ)は、叢雨,群雨とも書く。激しく降ったり止んだりを繰り返す雨のこと。村雨の村は当て字だが、雨に濡れた村々の姿が浮かぶようである。
「五月雨(さみだれ)」の「さ」は田の神のこと、「みだれ」は「水垂れ」という意味があり、旧暦五月の長雨のこと。所謂梅雨のことであるが、五月雨は稲作の国の田植時には欠かせないもの。この長雨が野山を潤し、美しい自然を育み、漆器や木造建築などの独特な日本文化を生み出してきたのである。
湖の水まさりけり五月雨 去来
この句を虚子は案じ入った句と評している。去来は広大な湖水の趣や降り続く五月雨の趣をじっと案じ入って、去来の心が湖水の如く広大に、また五月雨の如く荘重に引き締められて出来上がった句であると絶賛している。
今年の梅雨も未だコロナ禍で家居が多くなることであろう。ああ、また雨かと思うのではなく、去来のようにどっぷりと五月雨の景色に浸って、長雨ならではの句を詠んでみたいもの。案じ入る・・・。雑事を忘れ、その間だけでも俳句に没頭することは、至福のひと時でもある。これに至福の一句を賜ったら云うことなし・・・。
木洩日を躍らせ垣を繕へり 井口 芹
加藤あやの寸評
最近、あまり見かける事の少なくなっている「垣繕ふ」所謂、垣根の手入れである。しかし、春先に向って、傷んだ垣根の手入れは、実感としてやはり残っている。その垣の手入れと言えば、縄、竹、結び目等々必ず詠まれるものだが、作者は木洩日の動きに目をやり、それを躍っていると詠み、一句を生き生きと活写した。
孝行の垣繕ひといふ帰郷 木谷和美
加藤あやの寸評
帰郷にもいろいろとある。故里の家を思い、年老いてゆく親を思い、垣の手入れを手伝う思いに至ったのであろう。近年は疫病の為に故里へ帰ることもままならぬようであり、遠く離れる親思う心は切々である。
掲句は「夕焼を背にし人に一日過ぐ」の句と共に季節に関係なく私の書棚に並べて飾っている。もしかして花野会で詠まれたのではないかと思っている。その時の句会に私は参加していたような気がする。野道を歩いていた時、大きな蟷螂が畑の柵にじっと我々を見ていたことがあった。句帳も手帳も廃棄してしまっているので頼りない記憶によるが。
高槻句会に誘われて俳句を始め、結社のことなど色々と教えていただくうち未央には錚々たる先生方がいらっしゃることも知った。そのお一人が三郎先生で花野会の指導をされていた。花野会は随分歴史が長く、古くからいらっしゃる人が多かった。高槻句会と両方に何人かが行かれていて句会報を頂いたりしているうち勇気を出して私も参加するようになった。高槻と同じく吟行は野山を歩くことが多い為、より範囲が広がり、季節ごとの景色には堪能しても俳句は難しい。歳時記で知っていた「ガリバーの足が来てをり犬ふぐり」のような句を思いながら歩きつつ、先生はどのような所を見ていらっしゃるのか、句
帳にメモされているのを見かけたことがない。ずっと傍にいたわけではないがヒントがほしい気持だった。
豊富な知識に裏付けられ、ウイットに富んだ楽しい句には何か気持の温かさを感じる。
先生は折に触れてはよく短冊や額を下さった。誰もが何点か頂いていると思う。私も何で頂いたのか覚えず季節ごとに掛替えている。
何の時か、小型の額をたくさん持って来られて机の上にバラバラと広げられた。それを私たちは好き好きに取り合った。その時の額が掲句だったかもしれない。
花野会は解散したが良い句会だったと懐かしく思う。
岩垣子鹿の一句鑑賞−句集「やまと」−
一枚の多羅葉万緑よりちぎる 子鹿
多羅葉の葉は長い楕円形で厚く光沢があり、鉄筆等で引っ掻いて書くと黒変し文字が残る。現在の葉書の原型と言われている。大いなる万緑からちぎり取った一枚の葉に刻まれるのはもしかしたらほとばしる愛の言葉かもしれない。指には青臭い葉の匂が残り、万緑の香りを一層濃くしている。
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