縦書き絶滅危惧
インスタグラムをやり始めて一年半となる。自身の句にそれを連想する写真と曲を付けて毎日一句ずつ発表するというもの。最初は写真との兼ね合いがあるので、五七五を横書きにして出していた。出し始めて三か月くらい経ったころであったろうか、ある未央の誌友から、ラインでコメントをいただいた。「今日、朝日新聞に《縦書き絶滅危惧?》という記事がありました。私達は読むのに縦も横も慣れていますが、先生のインスタグラムに時折縦書きも載せて頂けませんか・・・。
人間古いから俳句は縦書きが良いと思うのですが」という内容であった。スマートフォンだから横書きでも良いかと思っていた自身の考えの浅はかさに衝撃を受けた。そうなんだやはり俳句は縦書きにせねばと思い立ち、それ以来今日まで縦書きを通している。
『虚子俳話』の一節に、「面白い句と言うものは沢山あるが、品の良い句と言うものはあまり多くない。短冊に認めて床の間に掛けてみて、いつまでも飽きのこない品のある句が欲しい」と書かれている。書道を嗜む人が減り続けている現在であるが、短冊に墨書してみることも偶には良いのではないかと思う。
日本語は縦書きにしてこそ美しい。この魅力ある日本語の縦書き文化を残すべく、尚且つ日本の美しい四季を詠う俳句を次代に繋ぐべく、縦書きの俳句の墨書を残してゆきたい。
文字涼し俳句は縦書きに限る しぐれ
洞がちの神木饌と百千鳥 池田幸惠
多田羅初美の寸評
洞を広辞苑で引くと、ほら・あな・「洞窟・空洞」とある。空洞となった樹齢幾百年の一木であり、神の鎮座する大樹である。
供えられた饌を、百千鳥が相伴にあずかって飛び交っている。歌枕に詠まれている京の北方の山かと想像する。奥の深い句である。
開き癖つきゐし図鑑百千鳥 山本ひろ
多田羅初美の寸評
俳歴四十五年を経た今も、鳩・雀・鴉・燕・鶯・鴨の他の鳥は知らない己を恥じる。「開き癖つきゐし図鑑」とは偉い。尊敬する。
百千鳥の一鳥づつを、毎日朝昼夜につぶさに観察して、その上に開き癖のつく程、図鑑を繰って調べるとは凄い。ゆえに授かった賜。
子鹿先生が「すずな会」の指導に初めて来られたのは平成二十一年二月の句会です。先生にはこれまで例会と吟行以外身近にご指導を受けたことが一度もなかったので身の引き締まる思いがしました。
先生は句会時の選評の他、いろいろな角度からアドバイスをされています。当時の句会報には例えば、都心の吟行の勧めや句の省略、表現の工夫、「〇忌」は付き過ぎない…などが見られます。
ある時、私の句が先生の選に一句も入らず、席が近いこともあって「今日はおとなしかったな。見てやる」と言われ、出句控えのノートを持っていきましたが、今までそのノートを人に見せることなど思いもよらず時間に追われて殴り書きが常、まことに恥ずかしく顔から火が出る思いでした。それ以来、出句控えや選句は丁寧に書いておくよう心掛けてはいますが…。
先生が来られてまもなく花の季節となりました。句会場のある大阪駅前第二ビルの周りには桜並木もあり、屋上に桜の咲くビルもあります。そんな光景を詠んだ花の句を採っていただきました、そして一年、再び花の季節が巡ってきましたが先生はお見えになりませんでした。四月の句会報には「後選をすると言っておられましたのに…」と、哀惜の辞が綴られています。
私にとって子鹿先生のすぐそばの席で学んだ一年間は忘れることが出来ません。あらためて当時の句会報を読んでみました。掲句は平成二十一年三月の句会で詠まれています。
ほかに
また雨が春のとぎれを繋ぎゆく
青田よりはみ出してゐる青田風
秋雨と思ひつつ読む去来抄
なども心に残りますが、季題に託してそれとなく心情を詠う美しい句、そんな句をいつの日か詠めたら…と思います。
古賀しぐれの一句鑑賞−句集「大和しうるはし」−
大仏へハローニーハオ夏休 しぐれ
外国からの旅行客が押し寄せていた頃の奈良。一時は世界中の人々が此処に集中したのかと思うばかりの賑わいであった。
バカンスを利用して訪れた異国の人たちを、大仏様は「よしよし」と見ていてくださったに違いない。
「大仏」と「夏休」の漢字を「ハロー」と「ニーハオ」のカタカナが繋ぐ、元気の出る一句である。
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