七月号(R3)

未央の俳句

誌友の雑詠    古賀しぐれ選

 

    一年を吉野に捧げ桜守         荻野真理子

 

    

古賀しぐれの評

  

  山肌一面に三万本の桜が生えている吉野。その世話をするのが「桜守」。今現在ではたった三人でその重責を担っているという。桜の種拾いに始まり、種植え、苗木の育成、植樹、土壌改良と多岐に渡る。桜の満開期間はたったの十日ほど。その十日の為に彼らは一年を捧げるのだ。「一年を吉野に捧げ」の措辞がその事を端的に詠う。そして下五の「桜守」。成程となる。この作者の作品は清廉潔白であり、作者独自の志向が一句を貫いている。虚子の説く品格を尊ぶ俳句を作るに適った作者の精神が感じられる。

 

 




    オルガンの響く低音堂朧         須谷友美子

 

 

古賀しぐれの評

    

  音楽を長年されている作者らしい一句。「堂朧」の「堂」は教会であろう。大きな教会であればパイプオルガンであろうが、一句の雰囲気として普通の足踏みオルガンではないかと思う。「響く低音」が如何にも尊厳な雰囲気を醸し出している。オルガンの低音の響きから「朧」の季題への導入が見事。この作品からも品格を尊ぶ精神が窺われる。

 

 





   うぐひすや森の精霊ふるはせて       狩屋可子

 

 

 

古賀しぐれの評 

 

  ああ、春になったなあと一番に感じるのは鶯の声ではないだろうか。今まで閉ざされていた森に入り、鶯を聞きとめた時の感動が伝わってくる。「森の精霊ふるはせて」の措辞が素晴らしい。鶯の鳴き声を近くで聞きとめると確かに空気を震わせるような響きを感じる。清らかな鶯の声と精霊を組み合わせ、品よく詠い上げた。

 




さくらんぼ(高校生以下の作品)   福本めぐみの評

 

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さくらしべ降る正門の曲り角             中一 難波美帆

 


 

福本めぐみの評 

 

   新入生を迎える花の頃には多くの人で賑わいますが桜蘂の降る頃は学校もそれを取り巻く環境も少し落ち着いてきます。新しい中学校の生活に少し慣れてきた作者は正門を出て曲がり角に差し掛かると頭に肩に降りかかるものに気付きました。何かしらと心を止めると、桜蘂でした。一斉に咲き一斉に散る桜の蘂もまた、一斉に降ります。ある時は、地面を赤く染める程です。

 



 

 

 
桜の木一年生は無事入学                 小六 三原咲月

 

 

福本めぐみの評

 

 昨年はコロナ禍で行事ごとにずいぶん気をもみました。四月からは小学校の最上級生になって新一年生の事を気づかう立場になりました。入学式の準備も手伝ったのでしょう。出席者の人数を制限し、三密に注意しながら入学式を無事終えることができました。桜の木は何事もなかったようにそこに立ち続け一年生をお祝いしているように咲き満ちています。作者の心も明るい安心感にみちています。

 



 


 

 

学校のシンボルみたいつばめの巣             小六 狩屋堂明

 

 

福本めぐみの評

 いつの頃からか、つばめが学校に来るようになりました。巣作りから産卵、子育て巣立ちまで、学校の誰もが親しみを込めて見守ってきたつばめです。沢山糞もします。その掃除も生徒たちが担ってきたのでしょう。つばめが巣立ったその後も大切に残されているつばめの巣は学校のシンボルのように代々ひきつがれていくのでしょう。

 


 

 

 

 

さくらんぼの句

  

        さくらんぼの句   福本めぐみの評

 

 

春眠の覚めてほっぺの化学式            高三 本城由比奈

 勉強をしているとやわらかな日差しに誘われるように眠ってしまいました。これもまた春眠でしょう。眠ってはいけない時の眠りほど心地良いものはないように思います。その眠りから覚めて鏡を見ると「頬に化学式」があったのです。ノートに頬を押し付けて眠っていたのです。この春眠の夢には化学式が踊っていたのかもしれません。青春の一ページです。

 

階段で顔を上げれば花の雲             高一 山村真市

 階段という場所の設定が良いと思います。学校の階段には踊り場があり、窓のある事も多くあります。足元を見ていた目を戻し顔を上げると窓は大きく高く、窓の外には花の雲の景色が広がっています。学校のざわめきとふと切り離された独特の明るさと静かさが作者を包みます。

 

さくらしべ降る正門の曲り角             中一 難波美帆

 新入生を迎える花の頃には多くの人で賑わいますが桜蘂の降る頃は学校もそれを取り巻く環境も少し落ち着いてきます。新しい中学校の生活に少し慣れてきた作者は正門を出て曲がり角に差し掛かると頭に肩に降りかかるものに気付きました。何かしらと心を止めると、桜蘂でした。一斉に咲き一斉に散る桜の蘂もまた、一斉に降ります。ある時は、地面を赤く染める程です。

 

去年から使われてないつばめの巣            中一 山村竜暉

 去年はつばめが来なかった。つばめの巣はそのままなのに。今年は来てくれるかなと思って見ていましたが来る様子はありません。つばめのいない巣は少しみすぼらしくてさみしいものです。使われていないと言ったところにつばめへの親しみやその巣への思いを感じます。

 

子どもの日祖父母の自宅へは自粛             中一 奥村瑛太

 例年ならおじいちゃんやおばあちゃんのお家へいってお祝いしてもらったり、一緒に食事をしたりしていたのですが今年はコロナ禍で自粛です。何かをしてもらうことが当たり前だった「子どもの日」が今年はおじいちゃんおばあちゃんの事を考え、コロナのリスクから守る事を考える「子どもの日」となりました。

 

桜の木一年生は無事入学                 小六 三原咲月

 昨年はコロナ禍で行事ごとにずいぶん気をもみました。四月からは小学校の最上級生になって新一年生の事を気づかう立場になりました。入学式の準備も手伝ったのでしょう。出席者の人数を制限し、三密に注意しながら入学式を無事終えることができました。桜の木は何事もなかったようにそこに立ち続け一年生をお祝いしているように咲き満ちています。作者の心も明るい安心感にみちています。

 

学校のシンボルみたいつばめの巣             小六 狩屋堂明

 いつの頃からか、つばめが学校に来るようになりました。巣作りから産卵、子育て巣立ちまで、学校の誰もが親しみを込めて見守ってきたつばめです。沢山糞もします。その掃除も生徒たちが担ってきたのでしょう。つばめが巣立ったその後も大切に残されているつばめの巣は学校のシンボルのように代々ひきつがれていくのでしょう。

 

チューリップばらばらになりちっていく          小五 難波孝太朗

 咲きはじめたチューリップは昔(ちょっと昔)両手で花の形を作ったように付け根はくっつけています。絵に描くイメージもくっついています。本当は一枚一枚の花びらが重なってかわいいカップのような形をつくっているのですね。チューリップの散りぎわを目の当たりにしてこんなにばらばらにちってしまうのだと発見したのです。咲いている時よりも散る時に感心した作者の目に成長を感じます。

 

帰り道つつじの花のみつをすう              小五 倉田智浩

 つつじの花のみつをすったことのない人っているのでしょうか。誰もが一度はやったことがあるのではないでしょうか。「この花、こうしてすうてみ。甘いで」と交わされる子どもたちの会話を何度も聞いたことがあります。花を取ってもだれもなにも言いません。みな、同じ経験をしているからではないでしょうか。それ程、私たちの身近に親しみやすく咲いている花なのです。

 

はのしたであかいふたごのさくらんぼ            小 二墨穂乃花

 はっぱのしたにできているさくらんぼのなかには、ひとつのものやふたつつながっているもの、みっつつながっているものもあります。えにかいたようにふたつつながっているさくらんぼはかわいいですね。いつもつながっていて、なかのいいふたごのようですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   空蝉        

                             


 

       

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