八月号(H29)

未央の俳句

誌友の雑詠    古賀しぐれ選

 

      虹二節聞かんと集ふ宮涼し     荻野真理子

    

古賀しぐれの評

  

 この作者の感性はいつも自由である。決して人の句の真似などはしない。吟行のその日その日に感じたことを自身の感覚で自身の言葉で詠おうという意気込みを常に感じさせる。虚子の説く何物にも囚われることない高邁な精神が、自然体の自由な俳句に繋がっているのであろう。早や虹二先生の一周忌を迎えた住吉大社。今年も住吉大社の御好意で立派な句会場をお借りしての追悼会となった。虹二先生のお人柄であろうか、住吉大社に来ると自然と虹二先生のお姿、話しぶりを思い出してしまう。そういう未央の誌友の方々の句が多かった。そして掲句。住吉大社の其処此処で思い出す師の姿。気取ることのない話しぶり、独特の虹二節の句の数々が走馬灯のように現れては消えてゆく。懐かしく思う師の姿が余すなく表現されている。







    大方は芥となりぬ薬狩     森本恭生

 

 

古賀しぐれの評

  

  《薬狩》。今では見かけない季題である。五月の節句に狩の衣服を整えて山野に出かけ、薬草を採集する行事。この日の薬草は特に効能があると伝わる。その薬狩の五連作である。陀羅尼助と言い、口伝直伝と言い、いかにも懐かしい句が揃った。中でもこの一句。薬狩と言って勇んで野草を刈って来たはよいが、殆どが効能のない草ばかり。「大方は芥」がそれを的確に表現している。諧謔味のある句に仕上った。一つの季題に挑戦する姿勢が素晴しい。

 






   白藤の明日は雲となる高さ     松葉郁子

 

 

古賀しぐれの評

  

  奈良の春日大社での一句。殆どが紫の藤であったが、高々とした御神木に懸る白藤が目を惹いた。白藤ならでは神々しさが感じられる一木。その上をゆく白雲。明日はもう一段高みに懸かり、あの白雲の高さになるであろうという、作者の直感がこの一句に繋がった。天上の白雲と神の藤の白の尊さ。作者ならではの視点で描き上げた。


 

 

 



さくらんぼ(高校生以下の作品)   福本めぐみの評

 

  さくらんぼからのお知らせ 
 高校生の方もどしどし投稿下さい
 未央誌のさくらんぼの用紙ご使用下さい
 

 

 

 

 

 
気持ちいい風がふいてる子どもの日     小五 山村侑己



福本めぐみの評

   五月の風は日本の風と呼びたいほど気持ちよく日本人のこころを打つ風なのではないでしょうか。素直に気持ちいいと感じる心をもつ子どもたちのすこやかな成長を心からお祝いする「子どもの日」です。


 






 

 
朝一でプールを買ってあそんだよ      小四 古賀こはる

 

福本めぐみの評

   今日は暑い!と感じて、よし、プールだ!とプールを朝一番に買いに行く。そして、プール遊び。行動するお母さん(お父さん?)に感動。


 




遠足でみなとめぐりの船にのる      小三 難波美帆

 

 

福本めぐみの評

 新学期開始から少しクラスが落ち着き、緊張がほぐれて、遠足というお楽しみがあります。みなとめぐりの船にのり、ひろびろとしたけしきの中、子どもたちの心ものびのびと、ひろやかになります。そして、みんなで食べる、おべんとうや、おやつ。こうして、いっそう、なかよくなっていくのでしょう。


 

 

 

 

さくらんぼの句

  

        さくらんぼの句   福本めぐみの評

 

 

木苺を鳥と取り合いして食べる     中二 本城由比奈

毎日の登下校の道すがらや、散歩道で目にする木苺の熟れごろを知っている作者です。人が食べて美味しいものは鳥が食べてもおいしいのです。鳥につつかれないうちに食べようと考えるだけで楽しいものです。自然と共生している感じです。少し鳥にも残しておいてあげようと
思ったりもして。

 


あめんぼう川に流れず流されず     小六 山村真市

川にいるあめんぼうに目が止まりました。同じ所に留まっているあめんぼう。よく見ると、流されないようにがんばっていることに気がつきました。がんばれ、あめんぼう。

 


生き生きとのびゆく若葉かがやいて     小六 狩屋佑菜

新芽から若葉へとのびてゆく葉の勢いは、毎日毎日が発見です。みるみるうちに空が若葉で埋めつくされて行きます。この頃の明るい日差しにかがやく、やわらかな若葉がこの句を読んでよみがえります。

 


気持ちいい風がふいてる子どもの日     小五 山村侑己

五月の風は日本の風と呼びたいほど気持ちよく日本人のこころを打つ風なのではないでしょうか。素直に気持ちいいと感じる心をもつ子どもたちのすこやかな成長を心からお祝いする「子どもの日」です。

 


運動会心を一つにがんばろう      小四 三原勇真

小学四年生ともなると、運動会も団体戦があったり団体演技があったりするのでしょう。だれかに言われてするのではなく、ひとりひとりの気持ちをひとつにしてがんばることが大切なのです。「運動会」は、今は秋の季語ですが、昔は春の季語でした。季語の季節の変化はありますが、心ひとつにがんばるという気持ちはいつも同じです。

 


風止んで少し休けいこいのぼり      小四 山村隼士

五月の風にぴんとふくらんで泳いでいるこいのぼりは気持ちのいいものですが、風が止んでだらりとたれた時に、なにかほっとひと息ついたように感じられることもあります。ずっとがんばっていなくていいよと言ってもらったようです。力を抜くことも大切です。

 


朝一でプールを買ってあそんだよ      小四 古賀こはる

今日は暑い!と感じて、よし、プールだ!とプールを朝一番に買いに行く。そして、プール遊び。行動するお母さん(お父さん?)に感動。

 


遠足でみなとめぐりの船にのる      小三 難波美帆

新学期開始から少しクラスが落ち着き、緊張がほぐれて、遠足というお楽しみがあります。みなとめぐりの船にのり、ひろびろとしたけしきの中、子どもたちの心ものびのびと、ひろやかになります。そして、みんなで食べる、おべんとうや、おやつ。こうして、いっそう、なかよくなっていくのでしょう。

 


つばめの子近所のすにはいるのかな       小三 山村竜暉

つばめの子が飛んでいます。このつばめは近所のすで育ったつばめかなと見ているのです。親つばめは新しいすを作ることもありますが、古いすをなおしてはいることも多いようです。一度、子そだてした親が同じすにもどってきて二度、子そだてすることもめずらしくないようです。

 


おゆいれてプールがつめたすぎるから      小二 古賀こむぎ

おゆいれて〜とお母さんにお願いしているのです。だって、プールの水がつめたすぎるもん。あついとおもう日でも水はまだつめたいのですね。プールにためた水を少しお日さまのしたにおいておくとあたたかくなります。ひなたみずといいます。

 


およぐのがとってもはやいあめんぼう      小二 かりやとうあ

およいでいるのか、とんでいるのか。そのうごきはとてもはやいです。つかまえようとおもってもなかなかうまくいきません。

 


こばんそうさらさらさらとみみのそば      小一 難波孝太朗

さらさらさらとなる、こばんそうがとてもすずしくてやさしいかんじです。「みみのそば」というちかさがとてもいいです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                             


 

       

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