四月号(H30)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  エイプリルフール

  

  エイプリルフールの由来は諸説あり正確な由来は未詳のようである。有力とされる起源説はいろいろとあるようである。そのいくつかを調べてみた。

 

 その昔、ヨーロッパでは三月二十五日を新年とし、四月一日まで春の祭りを開催していたが、一五六四年にフランスのシャルル九世が一月一日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、四月一日を「嘘の新年」として、馬鹿騒ぎを始めた。しかしシャルル九世はこの事態を非常に憤慨し、「嘘の新年」を祝っていた人々を処刑した。この事件に非常なショックを受け、この事件を忘れないために、四月一日を「嘘の新年」として祝うようになった。これがエイプリルフールの始まりであると伝わる。

 

 


 もう一説として、インドの仏教説がある。三月二十五日から三十一日までの一週間、座禅を組んで修行するが、つらい修行が終わった四月一日は、悟りの境地から再び現実の世界に戻ってしまう為、「揶揄説」と呼んでからかいの行事を行うようになったことから始まったとされる説、他多数ある。

   日本では大正時代に西洋から伝来して広まったようである。「万愚説」と呼ばれた時代もあったが、現在では「四月馬鹿」「エイプリルフール」と呼ばれ親しまれている。
フェイクニュースが飛び交う昨今、何が嘘で何が本当か分らなくなってしまう時代。せめて俳句では虚実ない交ぜの愉しい嘘を詠えたら面白いだろうなと、「エイプリルフール」の俳句をほくそ笑みながら考えているところである。

 



 雲母の小筥(初鏡 寒雀)    北川栄子

 

  住吉の松よりこぼれ寒雀      早川水鳥

 


北川栄子の寸評

 

  住吉の松と言った事により、寒雀がただの雀でなくなったかの様に思える。住吉大社を知らない人々にも神社の格式が背景に見え、広い境内の日向を我が物顔に遊ぶ雀達が、上等に見えて来ると言う不思議。自由闊達な住吉さんの雀である。

 

 

 

 




    生きてきた生きてゆく顔初鏡       狩屋可子


北川栄子の寸評

 

   新年を装う鏡の中に、しみじみと自分を見つめられたように感じられる。「生きてきた」は過去、「生きてゆく」は未来。一つ齢を重ねた事による力強さが滲み出ているようだ。
自分に対する応援歌のようにも思える句である。





心に残る句    山本まさみ     

 

 さまざまの事おもひ出す桜かな    松尾芭蕉

 

 

  芭蕉四十五歳の句。この句を目にした時から心離れず、毎年桜の季節になると口からこぼれ出ます。年令を重ねる毎に一層心に響いてくる一句となりました。
勤めて初めての春、会社から円山公園へ夜桜見物に行き、夜空に白く浮かぶ枝垂桜の幽玄な姿に感動しました。その傍らでは喧嘩が始まったり、酔い潰れている大人の光景が怖く泣きべそをかいていた乙女でした。


七年前、嫁がこの世を去り、その三ヶ月後には孫の小学校の入学式。淋しくない様にと父親の他に姉兄も出席し、主人と私は少し離れた場所から見守りました。
桜の下で次々と記念写真を撮る母と子。キラキラ輝いて見えました。遺影を抱いていた私は涙が溢れ、霧の中に茫洋と咲くようなあの日の桜を今も忘れられません。
嫁の初盆を控え、長男である主人は孫達がいつでもお参り出来るようにと実家から仏壇と墓を茨木へ移しました。

 


家から程近い散歩道にある御寺にご縁を頂いた墓の横には、大きな桜の木が一本植っていました。春には見事に咲き誇り、主人はとてもお気に入りでした。しかしその墓に早くも入ろうとは夢にも思わぬ事でした。主人の友人達から「本当に良い所ですね。この桜のあるお墓を自慢されてましたよ」と告げられ苦笑しました。
未来永劫、桜咲く頃には蕾…三分…五分…満開へと人は期待と喜びに満ち、散りゆく桜の刹那を惜しみます。そして一片は、人の心に何かを言い伝えている様な気がしてなりません。
春の訪れと共に主人は気に入りの桜の開花を待ち侘び、私はその一片が何を伝えてくれるのか楽しみに待ちたいと思います。




一句鑑賞    山田佳音

吉年虹二の一句鑑賞−句集「狐火」−

 

 

桜漬咲いてゆく湯気さくらいろ     虹二

 

  慶びに心ときめかせながら桜湯を入れる。塩漬の桜の花びらがゆるやかに開いてゆく。その様子を「咲いてゆく」と詠み、湯気の色もひらがなで「さくらいろ」だと言う。繊細かつ優しい感覚の句である。




     

 

  

Copyright(c)2018biohAllRightsReserved.