十月号(H28)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  ハロウィン

   

 最近日本でも盛んに祝われるようになったハロウィン。ハロウィンは元々、ヨーロッパを起源とする民族行事。キリスト教「諸聖人の祝日の前夜」を意味する。古代ケルト人の秋の収穫祭に起源があるといわれる。古代ケルト民族の一年の終わりは十月三十一日と定められ、この夜には死者の霊が親族を訪ねたり、悪霊が降りて作物を荒らすと信じられていた。

そこから、秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す祭りが行われるようになり、キリスト教に取り入れられて、現在のハロウィンの行事となったのだ。ハロウィンには《ジャック・オー・ランタン》と呼ばれる、カボチャをくり抜いて顔を作った中に蝋燭を立てた提灯が飾られる。これは死者の霊を導いたり、悪霊を追い払ったりするための焚火に由来するといわれる。日本でいえば、お盆の迎え火や送り火に近いものなのであろう。十月三十一日はこの世とあの世の境目がなくなり、あの世の悪霊がこの世にやってくると信じられていた。それで、人々はそれぞれの仮装をして、悪霊の目をくらまし、自分に乗り移らないようにしたのだとか。 また、仮装をした子供たちが、「お菓子をくれないといたずらするぞ」と言って近所の家からお菓子を貰う由来は農民が祭用の食料を貰って歩いたさまを真似たものといわれている。


日本の秋祭にも、穀物の実りに感謝し、それを神に供えるという本義がある。収穫を神に感謝するという慣わしは、古今東西を問わず、永永と続けられて来たものなのである。昨今では、ハロウィンの仮装のばか騒ぎばかりが目立ってしまっている日本であるが、農耕民族である豊穣の有難みを今一度噛みしめたいものである。


 



 雲母の小筥(落し文・夏痩を詠む)    多田羅初美選

 

   倶利伽羅の火牛の谷の落し文     今村征一


多田羅初美の寸評

    揚句は「源平盛衰記」義仲と平維盛との倶利伽羅の戦いである。義仲軍が数百頭の牛の角に松明を括りつけて敵中に放ったとある。平家軍は追われ、次次と倶利伽羅峠の断崖絶壁から谷底へ転落した。 それより火牛の谷と言われているのであろう。この戦より平家は追われる。 固有名詞と落し文の季題を使っただけの句である。 史実に基づく盛衰の暦日を落し文に語らせている。落し文でなければいけない。 虚子は、「俳句は簡単なのが武器である。長所である」と言った。虚子の教えを諾う秀逸句である。





    夏痩で済まされませぬその姿     森本恭生

多田羅初美の寸評

    済まされませぬと敬語で詠まれている。目上の方と知れる。 夏痩をされたそのお姿を心配している。もしかして御病気ではと、一人で自問自答をし悩んでいる。敬愛する方であろう。




心に残る句    阿比留 淳     

 

 葛城の風来る館武具飾る    吉年虹二

この句に出会った時、子供の頃のことが頭に浮かんだ。虹二先生は我が少年時代のことを詠んで下さったかと思った程である。旧士(昔は武士であった)家の子と友達でよく遊んだ。毎年五月五日の一週間程前から奥座敷に、鎧、兜が飾られていた。一体は立姿、もう一体は椅子に掛けたものだった。 床の間にも確か掛軸やお花が飾られていたように思うが、何と言っても刀剣である。


ぴっかぴかに磨かれた刀の反りの鋭さに加え、「刀文」の波の見事な美しさに魅せられた。寄らば切るぞ、いざ勝負てな具合か、刀は大中小と三点セットで飾られていたが、どれをとっても恐ろしいまでの美しさで近寄り難さを感じた。 「お茶せんかいや」と、おばば様が粽や羊羹を運んで下さった。貧乏人の子にとっては粽は別として羊羹は大変な御馳走であった。
句に出てくる館とはお屋敷つまり大邸宅であり、門構えの広い大きなお庭があり、其の一角には子供の頃に歌った歌にあるように、屋根より高い鯉のぼりが風に吹かれている。 跡継ぎの健康と健やかな成長を願う祝いであり、奥座敷の障子を開放して村中の人々にも見てもらう、お披露目の習わしは全く我が故郷に似ているようでなつかしさを感じた。

俳句については、ど素人だから私にあれこれ言う資格はないが、本を読んで見て思うことは、名句鑑賞と言えば大方昔の人の名前が出て来ることが不思議でならない。明治には明治の、大正には大正の名句がある。昭和平成にも名句はあると思う。その時代、時代に相応しい句こそが名句だと私は思う。
例えば次の

秋立つやつまづく雲のなき浅間    子 鹿

ホームランボール隠して草茂る    しぐれ

摩天楼より新緑はパセリほど     狩 行

白鳥は真白と嘘の美しさ       喜代子

 



一句鑑賞    水野芳英

高木石子の一句鑑賞−句集「顕花」−

 

ふるさとのその夜柿落つ音に覚め     高木石子

     久し振りに親しい人々との歓談に時を過ごした帰郷の夜、物音にふと目を覚ましそれが柿の実の落ちる音と知る。昔からどこにでも植えられ親しまれてきた柿。この屋敷うちの柿の木にも、柿の実にも懐かしい思い出が…。故郷に一夜を過ごす安らぎを胸に再び眠りに就いたことであろう。




     

 

  

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