古賀しぐれの評
住吉大社で行われた虹二先生追悼句会での一句。住吉大社の大いなる境内を包み込むような蝉時雨。その蝉時雨は鎮魂歌とも聴こえて来た。《沈黙も追慕の一つ》この措辞が心に沁み込んでくる。虹二先生が長年通い続けられた住吉句会。虹二先生の思い出が其処此処に残されていた。沈黙が追慕の心を余計に深めている。蝉時雨の季題がその沈黙を尚更に深めているようだ。俳人は俳句を詠むことによって人を追慕する。長々とした思い出の言葉より、たった十七文字の一句の方がずしりと胸に迫ってくる。これが俳人が成仏する所以でないかとも思われる。
古賀しぐれの評
掲句も追悼句会での作。住吉大社の御計らいで立派な吉祥殿というお部屋をお借りする事が出来た。祭壇が設えられ、美しい花と虹二先生のご遺影、色紙短冊などが沢山飾られていた。懐かしい笑顔、親しみのある文字の句短冊。忽ちに虹二先生の思い出が溢れ出してくるようであった。その思いを端的に十七文字にまとめ上げた。《神の館涼し》がいかにもその清らかなる思い出を語っているようである。
古賀しぐれの評
この句は河内長野の花の文化園での作。虹二先生のお膝元でもある河内長野。作者は最晩年まで師をよくお世話され、最後までご一緒に俳句を楽しまれていた。美しい白蓮の咲いている光景を目の当りにして、師との思い出が甦って来たのであろう。白蓮と師の凛とした佇まいを重ね合わせ、追慕の心が一入に募って来たのだ。今頃は御浄土の蓮の台で俳諧を楽しんでおられることであろう。
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花火咲き火花散りゆき笑顔咲く 高一 北村 壮
福本めぐみの評
夜空に打ちあがった花火が大きく広がっては散る。その都度、歓声があがり闇が照らされ笑顔が浮かびあがる。その一瞬、一瞬をゆっくりと映像的に見せてくれる句です。ていねいに言葉をつなぐことで描ききることができました。一発の花火に何万何十万もの笑顔が咲いたことでしょう。
福本めぐみの評
緑といってもひとつの色でないことを知った作者です。山によってはえている木や植えてある木がちがうのです。そんな事も考えて山を見るようになったらいい ですね。
福本めぐみの評
あつくてあつくてたまらないひは、かきごおりがいちばんおいしいですね。できあがるのがまちきれません。
さくらんぼの句
さくらんぼの句 福本めぐみの評
花火咲き火花散りゆき笑顔咲く 高一 北村 壮
おまつりというだけでわくわくします。わたあめをかってあるきながらたべているのかな?わたあめのはしからとけてしまいそう。ふわふわのわたあめが小さくなっちゃう!それもたのしいなつまつりです。
なんどさわっても、ちゃんとおじぎするおじぎそう。おきあがるのをまって、また、さわって「こんにちは。」おじぎそうも、つかれるんじゃないかな?でも、やっぱり、さわりたい。わかります。
ぼんおどりかわちおんどをおどったよ 年長 くらたともひろ おとなにまじっておどったのかな。ぼんおどりが、こどもたちにもうけつがれていくといいなあとおもいます。らいねんも、また、おどってね。
かきごおりたべてひんやりおいしいな 年長 山中沓子 あついひは、つめたいものをたべるのがいちばん。からだのなかからひんやり、おいし?。ひとくちずつ、つめたくて、あまくて、おいしいですね。
みずあそびずぼんぬれてもたのしいな 年中 岸しゅうた あ、ずぼんがぬれた。ま、いいか。あ、シャツもぬれた。と、さいしょは、きにしていたけれど、だんだん、だいたんになってきて、みずあそびにむちゅうになりました。はじける、えがおがみえるようです。
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