古賀しぐれの評
作者の俳句の親友であった方を追悼されている句が並ぶ。どの句からも、心を許し合い、句を楽しまれたであろう親友と作者との関係が浮かび上がってくる。辞世の句を遺して旅立った彼。何度も何度も読んでいる内に、口遊むまでに覚えてしまわれた辞世の句。その辞世の句を口遊みながらの墓参。俳人にとっては何よりの墓参りではないかと思われる。そして何れはあの世での句座でご一緒しましょうと語りかける作者。俳人の交遊は花鳥風月を通しての互いの交遊であると説く、虚子の言葉を地で行くような句の数々。読み手にもぐっと心に訴えて来るものがある。
古賀しぐれの評
蓮はインドの原産。古く大陸から渡来した。仏教との関わりが強く、寺院の池などに群生することが多い。仏さまが蓮の台に載るお姿は洵に荘厳である。蓮の蕾も合掌の姿によく喩えられる。そういう蓮の花の姿から受けるインスピレーションから湧き上がってきた感慨が、掲句の根底にあるのかも知れない。《悟りたるものより開き》の措辞が発想の豊かさを感じさせる。悟りをひらくように美しく開き切った白蓮の見事な姿が浮かび上がってくる。
古賀しぐれの評
スローモーション画像を見ているような一句。蓮の葉とかよく弾く葉っぱに一粒の露が宿っている。するともう一粒、どこからかその葉っぱに落ちて来た露がその元の露と合体してこぼれ落ちた。露がこぼれるという一瞬の刻をじっくりとスローモーション化して表現、魅力的な句に仕上がった。《白露》の《白》がそれを余計に際立たせている。
駅長タマ二世
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もう少し線香花火消えないで 小五 西村 樹
福本めぐみの評
家族や友達と楽しむ線香花火の夜は楽しいものです。でも、終わりの時は来ます。「この、花火が終わったらおしまいね」と、お母さんにうながされて最後の花火に火をつけたのかもしれません。「消えないで」と花火の夜をおしむ気持ちが伝わります。
福本めぐみの評
ひらひらのフリルがとてもかわいい花なのに、「さるすべり」どうしてこんななまえがついたのかなあとすなおに、ふしぎにおもっているのです。
さるすべりの木のみきをさわってみてください。つるつるしているでしょう。さるでも、この木にのぼろうとしたら「すべって落ちてしまうかもしれないよ」とむかしの人は考えて、そうよぶようになったそうです。もっとも、花も実もあまりおいしくないから、さるも、のぼろうとしなかったようですけれど。
福本めぐみの評
たなばたにでてくるあまのがわを、はちがつにみることができます。そんな、おはなしをきいて、でかけたのかもしれません。このひはくもりぞら、うすいくもにじゃまをされてみることができませんでした。ほんとうに、ざんねんです。でもまた、チャンスはあります。
さくらんぼの句
さくらんぼの句 福本めぐみの評
加賀の夜湖面にうつる大花火 中三 笠間優里
すいかわりめかくししたら見えないよ 小三 三原勇真
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