十二月号(H28)

未央の俳句

誌友の雑詠    古賀しぐれ選

 

      彼岸花目に染む妻の野辺送り     小野田 護

    

古賀しぐれの評

    最愛の奥様を亡くされた句が続く。彼岸に身罷るということは、成仏間違いなしと昔から言われている。そんな秋彼岸の只中の野辺送り。彼岸花に導かれるように浄土へと旅立たれた奥様。今では野辺送りなどの仕来りは廃れてしまったであろうが、葬送の日の彼岸花の赤が作者の目に鮮やかに残されたのであろう。句を作ることにより、深い哀しみは奥様への追慕として蘇ってくるのである。秋の蝶をみれば奥様の魂かとも思い、句会に出ることにより、沈んだ心を慰めている作者。悲しみの中の俳句の存在というものは、それを経験された人にしか分らないと思われるが、大きな心の癒しとなるであろう。これよりは前向きに極楽の文学である俳句を楽しんでいただきたく思う。







    芒原つくづく遠き詩の道      狩屋可子

 

古賀しぐれの評

   芒原の奥の深さ。曽爾高原のような、広大な芒原を連想させる。行けども行けども芒の風の道。終には迷ってしまい、入口がどこか出口がどこか分らなくなってしまう。その連想が俳句の道と重なった。随分と長い俳句生活。分ったように思う俳句であるが、しばらくすると亦分らなくなってしまう。誰もが経験する句の道である。だからこそ愉しくもあり、難しくもあり、魅惑的なのであろう。地獄の文学か極楽の文学か。それは作者が選ぶ道でもあるのだろう。そう言いつつ、結構楽しんでいる俳句生活なのである。






   大琵琶の秋へせり出す浮御堂      水上末子

 

古賀しぐれの評

    琵琶湖の水面に浮かんだように造られた臨済宗の仏堂。千体仏が安置されている。別名満月寺。近江八景の一つ《堅田の落雁》で知られている。その浮御堂の景色。大琵琶の秋、この秋という季題が洵に良く効いている。秋天の青、琵琶湖の水の澄み渡る青。その琵琶湖の秋へ舞台のように迫り出す浮御堂。月見に良し、渡り鳥を見るに良し。琵琶湖の秋を満喫できる浮御堂なのである。




さくらんぼ(高校生以下の作品)   福本めぐみの評

 

  さくらんぼからのお知らせ 
 高校生の方もどしどし投稿下さい
 未央誌のさくらんぼの用紙ご使用下さい
 

 

 

コスモスに来て花びらとなりし蝶     中一 本城由比奈

 



 

福本めぐみの評

    ひらひらと飛んでいた蝶がコスモスに来てぴたりと止まりました。そして、翅も動かしません。翅の色が花に溶けて花びらになりすましているようです。蝶がコスモスなのか、コスモスが蝶なのか。おとぎばなしのようです。


 






 

 
満月は光のシャワー明るいな     小五 狩屋佑菜

 

福本めぐみの評

    
    満月には特別な明るさがありますね。それを光のシャワーと感じて、一身に浴びているのです。心のぜいたくです。



 




あまいかぜぶらんこゆれてきんもくせい     小三 古賀こはる

 

福本めぐみの評

   あまいかぜがふいているなあとかんじながらぶらんこをゆらしていたら、きんもくせいのはなが目にとまりました「ああ、このいいにおいはきんもくせいのはなだったんだ」と、ぶらんこゆれて、こころもゆれて、とてもいいきぶんです。

 


 

 

 

 

さくらんぼの句

  

        さくらんぼの句   福本めぐみの評

 

 

台風が急ぎ見に来る文化祭  高一 北村 壮

本当は台風には来て欲しくないのです。この間まで無かったはずの台風が生まれ、急に速度を上げて近づいてきました。まるで、台風に意思があってコースを変えて来ているようです。「おいおい、こっちにくるのかよ」「よし、じゃあ、見せてやるよ」とひらきなおっている作者の感じが頼もしいです。無事文化祭は終わったのでしょうか。それとも、荒れ模様だったのでしょうか。いずれにしても、熱気溢れる思い出に残る文化祭になったのでしょう。

 


秋の夜異国の友とメールする 中三 笠間優里

遠く離れた外国の友達が来日することになりました。様々な打ち合わせや出会ったら行きたい所、やりたい事、沢山の話をメールでやりとりしています。秋の夜長もあっという間に時間がたってしまいます。メールでやりとりすると、海外の友達との距離もとても近くなります。早く会いたいですね。

 


風呂場よりこおろぎの声聞こえくる 中一 岸 空大

こおろぎってどこにでもいて、どこででも鳴いている印象です。布団に入ってから、枕もとで鳴いているように感じたこともあります。今は、風呂場から聞こえています。一体、どこから入り込んで鳴くのだろうと不思議に思えます。

 


コスモスに来て花びらとなりし蝶 中一 本城由比奈

ひらひらと飛んでいた蝶がコスモスに来てぴたりと止まりました。そして、翅も動かしません。翅の色が花に溶けて花びらになりすましているようです。蝶がコスモスなのか、コスモスが蝶なのか。おとぎばなしのようです。

 


大つぶのぶどうを父が持ち帰る 小五 山村真市

「大つぶ」のぶどう!かなり高価なぶどうですね。スーパーの袋の中から出てくるものではなさそうな特別感があります。「父が持ち帰る」という言葉にも特別感があります。

 


満月は光のシャワー明るいな 小五 狩屋佑菜

満月には特別な明るさがありますね。それを光のシャワーと感じて、一身に浴びているのです。心のぜいたくです。

 


ひがん花まっかなひげがぴんとして 小四 山村侑己

ひがんばなのおしべを「まっかなひげ」とみて「ぴんとして」と言ったことでとってもかわいらしいひがん花のすがたをえがけたと思います。すなおな感じ方がとてもいいです。

 


なつとあききせつがくるりと入れかわる 小三 三原勇真

まさに今日がそんな日です。ざっとふった雨のあと、いっきにすずしいかぜがふいて、あきになりました。「くるりと入れかわる」ほんとうに、そのとおりです。

 


名月かわからないけどきれいだな 小三 山村隼士

今日がちゅうしゅうの名月の日?えっと、どうだったかなあ・・・。今日がその日かどうかわからないけれど、きれいなものはきれいなんです。うつくしいものはうつくしいのです。そう、かんじることがすばらしいです。

 


あまいかぜぶらんこゆれてきんもくせい 小三 古賀こはる

あまいかぜがふいているなあとかんじながらぶらんこをゆらしていたら、きんもくせいのはなが目にとまりました「ああ、このいいにおいはきんもくせいのはなだったんだ」と、ぶらんこゆれて、こころもゆれて、とてもいいきぶんです。

 


えだまめの食べたかずをきょうそうだ 小二 山村竜暉

食べたかわをならべているのかな。兄弟できょうそうして食べているのかな。なんでも楽しくあそべてしまうのですね。

 


まっかっかこうえんのすみひがん花 小二 難波美帆

あるひ、とつぜん、さきはじめるひがんばな。いつも、あそびにくるこうえんのすみにも、かたまってひがんばながさいています。そこだけが、まっかにそまっています。

 


むしのこえりんりんひびくあきのよる小一かりやとうあ

しずかなあきのよるをなきとおすむしのこえ。あちらからも、こちらからも、きこえてきてひびきあっています。オーケストラのようです。

 


だいすきななしのはいったおべんとう 小一 古賀こむぎ

いつもはきゅうしょくですが、今日はおべんとうです。運動会か遠足か、なにかとくべつな日なのです。あさから、おかあさんにだいすきななしを入れてねとおねだりしたのかもしれません。にこにこえがおで、おかあさんは、なしをいれてくれたのでしょう。おべんとうのじかんが、まちどうしいですね。

 


がんばるよリレーとダンスうんどうかい 年長 難波孝太朗

ねんちょうさんは、ようちえんさいごのうんどうかい。でばんもたくさんあってたいへんです。まいにちまいにち、れんしゅうをして、その、せいかをおうちのひとにみてもらいます。たいへんだけど、しっかりがんばることのできるたのもしいねんちょうさんです。

 


はぎのはないっぱいみちにおちてたよ 年中 岸しゅうた

さいているはぎよりも、みちに、おちているはぎのはなのほうに、よく、きがつくかもしれません。さいているはなも、おちているはなも、どちらも、とてもきれいです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                             

 

 

 

 


 

       

Copyright(c)2016biohAllRightsReserved.