古賀しぐれの評
最愛の奥様を亡くされた句が続く。彼岸に身罷るということは、成仏間違いなしと昔から言われている。そんな秋彼岸の只中の野辺送り。彼岸花に導かれるように浄土へと旅立たれた奥様。今では野辺送りなどの仕来りは廃れてしまったであろうが、葬送の日の彼岸花の赤が作者の目に鮮やかに残されたのであろう。句を作ることにより、深い哀しみは奥様への追慕として蘇ってくるのである。秋の蝶をみれば奥様の魂かとも思い、句会に出ることにより、沈んだ心を慰めている作者。悲しみの中の俳句の存在というものは、それを経験された人にしか分らないと思われるが、大きな心の癒しとなるであろう。これよりは前向きに極楽の文学である俳句を楽しんでいただきたく思う。
古賀しぐれの評
芒原の奥の深さ。曽爾高原のような、広大な芒原を連想させる。行けども行けども芒の風の道。終には迷ってしまい、入口がどこか出口がどこか分らなくなってしまう。その連想が俳句の道と重なった。随分と長い俳句生活。分ったように思う俳句であるが、しばらくすると亦分らなくなってしまう。誰もが経験する句の道である。だからこそ愉しくもあり、難しくもあり、魅惑的なのであろう。地獄の文学か極楽の文学か。それは作者が選ぶ道でもあるのだろう。そう言いつつ、結構楽しんでいる俳句生活なのである。
古賀しぐれの評
琵琶湖の水面に浮かんだように造られた臨済宗の仏堂。千体仏が安置されている。別名満月寺。近江八景の一つ《堅田の落雁》で知られている。その浮御堂の景色。大琵琶の秋、この秋という季題が洵に良く効いている。秋天の青、琵琶湖の水の澄み渡る青。その琵琶湖の秋へ舞台のように迫り出す浮御堂。月見に良し、渡り鳥を見るに良し。琵琶湖の秋を満喫できる浮御堂なのである。
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コスモスに来て花びらとなりし蝶 中一 本城由比奈
福本めぐみの評
ひらひらと飛んでいた蝶がコスモスに来てぴたりと止まりました。そして、翅も動かしません。翅の色が花に溶けて花びらになりすましているようです。蝶がコスモスなのか、コスモスが蝶なのか。おとぎばなしのようです。
福本めぐみの評
満月には特別な明るさがありますね。それを光のシャワーと感じて、一身に浴びているのです。心のぜいたくです。
福本めぐみの評
あまいかぜがふいているなあとかんじながらぶらんこをゆらしていたら、きんもくせいのはなが目にとまりました「ああ、このいいにおいはきんもくせいのはなだったんだ」と、ぶらんこゆれて、こころもゆれて、とてもいいきぶんです。
さくらんぼの句
さくらんぼの句 福本めぐみの評
台風が急ぎ見に来る文化祭 高一 北村 壮
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