五月号(H28)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

   鯉 幟


   《鯉の滝登り》という中国の故事がある。中国の竜門というところに黄河という急な川の流れがあり、その流れを勢いよく泳ぎ登ることが出来た鯉が、竜となり天に上ったという伝説がもとになっている。この故事から、困難ではあるが、そこを突破すれば立身出世ができる関門を《登竜門》と呼ぶようになった。
 五月の空を勢いよく泳ぐ鯉幟。この鯉幟には人生という流れの中で遭遇する難関を鯉のように突破し、立身出世して欲しいという願いが込められている。おそらくこの《鯉の滝登り》の故事を踏まえたものと思われるが、鯉幟は元来日本独自の風習だと言われる。江戸時代に武家で始まった端午の節句。男児の立身出世、武運長久を祈る年中行事となった。先祖伝来の鎧、兜を奥座敷に飾り、玄関には幟を飾った。この幟が吹流しとなり、そこに鯉の絵を描き、やがて鯉幟と言われるようになったと伝わる。
 
   風吹けば来るや隣の鯉のぼり   高濱虚子



現在では広く親しまれ、端午の節句には欠かせない風物詩となっている。
未央四百号祝賀会も盛会裡に終わり、五百号への第一歩。鯉の滝登りのごとく、勢いよく俳句の道を踏み出してゆきたく思う。


 雲母の小筥(蕗の薹・バレンタインの日を詠む)    松田吉上選

   恐竜の出でし土より蕗の薹   西垣節子

松田吉上の寸評

   作者は丹波市にお住いである。丹波市と言えば「恐竜の町」。崖を削れば恐竜化石がゾロゾロといった処だ。折からの春風に誘われ、恐竜化石発掘現場へと散歩に行った作者。そこにはホツホツと蕗の薹が出ているではないか。その瞬間、この一句が思い浮かんだのだ。恐竜の「古代」と蕗の薹の「現代」。恐竜の「大」と蕗の薹の「小」。多面的である故に鮮やかな対比が句に奥行きを生んだ。伸びやかで素直な秀句。










    歩かねば歩けなくなり蕗のたう   藤井秋子


松田吉上の寸評

   長期入院などをすれば、脚の筋肉が見る間に痩せ細ってゆくのが自分でも良く分かる。だから医者は「どんどん歩け!」と患者に言うのだ。その忠告に素直な作者。道々の蕗の薹にも声を掛けながら、一歩一歩、大地を踏みしめる。「歩かねば歩けなくなり・・」。生への執着がいとおしい。








 



心に残る句    兼島兼徹

 

 閑かさや岩にしみ入る蝉の声          松尾芭蕉

 

 
  
  私は十数年前に「サインズ誌」に出合い、俳句教室に投句したのが句作りのきっかけでした。投句はしたものの見つけきれずにおりましたがその後、友人に見つけてもらい、そのお礼にと又詠んでみようと思いました。他の友人にも励まされ今日に至ります。自己流で俳句を作り、句会にも入らず物足りなさを感じておりました。


今回原稿を依頼されて、俳句への出会いと感想を思い出してみました。俳句と言えば松尾芭蕉ですね。「岩にしみ入る」という表現に素晴しさを感じます。こんな事を言うと恥しいのですが、俳句の決り事や季題を知らなくとも誰でも俳句が作れるという事を感じます。しかし、何気ない生活の中で俳句に仕立てる技法を身につけるにはどうしたものか思案し、その後、「俳句入門講座」を取り寄せ学び始めました。友人から歳時記や芭蕉句集を頂きました。十七文字の短い句の中に心の温もりや表現の面白さがあり、学び始めて最初に出合ったのが


《むめがゝにのつと日の出る山路かな》でした。


「のつと」という表現に感心しました。私が句を作れる大きな励みは感謝と喜びに満たされているからです。
「未央」に出会ったのは「NHK俳句」中の広告が目に留まったからです。句作りを始めて十六年になります。見馴れない季題表現の違い、面白さ等を感じます。
「サインズ誌」には北は北海道、南は台湾まで色々な方が投稿されています。歳時記を見ると、花、季節、地の産物、天候など奥行きの広さを感じます。入選した俳句をかき集めて俳句のカレンダーを作り、楽しく過させて頂いております。


一句鑑賞    松田吉上

岩垣子鹿の一句鑑賞 −句集「やまと」−

 

美しき声が草矢の的となる    岩垣子鹿

    川堤であろうか。美しき声で歌っていた少女に草矢が命中した。少女は明かるい悲鳴をあげ、草矢を放った少年を睨みつけた。
 些細ではあるが濃やかな、この心躍るやりとりを、恋を知り染めた少年は楽しんでいるのだ。
 まだ世の中が長閑であった頃、そして周囲に野山が広がっていた頃。
 風景も恋を失われたが、失われたからこそ、なおさら美しい。



     

 

  

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