古賀しぐれの評
吹田の渡しがあった旧吹田村の吟行であった。「浜屋敷」なる句会場は大きな庄屋を改築したものであり、懐かしい竈が残る土間が広がっていた。渡し跡と言っても標が残るのみ。コンクリートで固めた河畔が広がっている。なかなか句作が難しいと思っていたが、思わぬ一句にめぐり会った。「へつつひ」は竈のこと。大きな土間の片隅に今は使われていない竈が鎮座していた。この竈を見て、「一隅の春埃」とは・・・。今は使われていないが、懐かしくもあり、柔らかい物体でもある竈を春埃と捉えた作者の感性に脱帽である。いかに人と違った感性を磨くか。「ハッ!」とした直感のなせる技。見事に一本取られた一句である。
古賀しぐれの評
《料峭》は春寒の意。料峭の二月堂といえばお水取りがすぐに浮かんで来る。二月末までは戒壇院横の別火坊にて試別火の行が行われ、三月一日から二月堂に移り参籠が続けられる。その春まだ寒い二月堂への道は杉木立を縫って登ってゆく。昼なお昏い杉木立。余計に春寒が募るその磴を登ってゆくほどに神聖な心持となってゆく。二月堂の行を具体的に述べてはいないが、却ってこのシンプルな詠い方がお水取りの行の奥深さを感じさせてくれる。多くを語らず多くを想像させる。《料峭》の季題がそれを物語る。
古賀しぐれの評
二月十四日。バレンタインの日の四百号祝賀会。それまでの厳しい寒さが嘘のように祝賀の当日は春を思わせる暖かさであった。大勢のみなさまにお集まりいただき和やかで心温まる祝賀会であった。そしてお開き。その祝賀の余韻を引くような春の夕焼。春夕焼の春が洵によく効いている。作者のほのぼのとした心を包み込むような春夕焼。いかに楽しい会であったかが《春夕焼》の季題で想像出来る。
さくらんぼからのお知らせ
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大試験震える腕をおさえつつ 高一 北村 壮
福本めぐみの評
なんという緊張感。そういえば、筆者も答案用紙に名前を書くときに手が震えたことを思い出しました。作者は自ら、落ち着け、落ち着けと腕をおさえたのでしょう。
福本めぐみの評
おいしいものを食べてごきげんなのかな?わらったらまえばにあおのりがついていました。じぶんでは、じぶんのあおのりはみえませんから、だれかがおしえてくれたのでしょう。おしえてくれたひとのまえばにもあおのりがついていたかも、なんてかんがえると、すごくたのしくなってきました。
福本めぐみの評
じょうずにぶらんこをこげるのですね。たかくこいで「ヤッホー」といってみました。いいきもちですね。もっともっと、たかくこげたかもしれません。
さくらんぼの句
さくらんぼの句 福本めぐみの評
教室で別れを惜しむ卒業式 高一 松田 剛
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