五月号(H28)

未央の俳句

誌友の雑詠    古賀しぐれ選

 

     へつつひといふ一隅の春埃   泉谷梨水


古賀しぐれの評

    吹田の渡しがあった旧吹田村の吟行であった。「浜屋敷」なる句会場は大きな庄屋を改築したものであり、懐かしい竈が残る土間が広がっていた。渡し跡と言っても標が残るのみ。コンクリートで固めた河畔が広がっている。なかなか句作が難しいと思っていたが、思わぬ一句にめぐり会った。「へつつひ」は竈のこと。大きな土間の片隅に今は使われていない竈が鎮座していた。この竈を見て、「一隅の春埃」とは・・・。今は使われていないが、懐かしくもあり、柔らかい物体でもある竈を春埃と捉えた作者の感性に脱帽である。いかに人と違った感性を磨くか。「ハッ!」とした直感のなせる技。見事に一本取られた一句である。









    料峭や二月堂へと杉木立   網本紘子

 

古賀しぐれの評

   《料峭》は春寒の意。料峭の二月堂といえばお水取りがすぐに浮かんで来る。二月末までは戒壇院横の別火坊にて試別火の行が行われ、三月一日から二月堂に移り参籠が続けられる。その春まだ寒い二月堂への道は杉木立を縫って登ってゆく。昼なお昏い杉木立。余計に春寒が募るその磴を登ってゆくほどに神聖な心持となってゆく。二月堂の行を具体的に述べてはいないが、却ってこのシンプルな詠い方がお水取りの行の奥深さを感じさせてくれる。多くを語らず多くを想像させる。《料峭》の季題がそれを物語る。










    祝宴の余韻を抱き春夕焼   手嶋真津子

 

古賀しぐれの評

    二月十四日。バレンタインの日の四百号祝賀会。それまでの厳しい寒さが嘘のように祝賀の当日は春を思わせる暖かさであった。大勢のみなさまにお集まりいただき和やかで心温まる祝賀会であった。そしてお開き。その祝賀の余韻を引くような春の夕焼。春夕焼の春が洵によく効いている。作者のほのぼのとした心を包み込むような春夕焼。いかに楽しい会であったかが《春夕焼》の季題で想像出来る。





さくらんぼ(高校生以下の作品)   福本めぐみの評

 

  さくらんぼからのお知らせ 
 高校生の方もどしどし投稿下さい
 未央誌のさくらんぼの用紙ご使用下さい
 

 

 

大試験震える腕をおさえつつ  高一  北村 壮



 

福本めぐみの評

   なんという緊張感。そういえば、筆者も答案用紙に名前を書くときに手が震えたことを思い出しました。作者は自ら、落ち着け、落ち着けと腕をおさえたのでしょう。








 

 
わらったらまえばにあおのりついていた  小二  山村竜暉

福本めぐみの評

    
  おいしいものを食べてごきげんなのかな?わらったらまえばにあおのりがついていました。じぶんでは、じぶんのあおのりはみえませんから、だれかがおしえてくれたのでしょう。おしえてくれたひとのまえばにもあおのりがついていたかも、なんてかんがえると、すごくたのしくなってきました。



 




ぶらんこをこぎヤッホーといってみる  年長  くらたともひろ

 

福本めぐみの評

   じょうずにぶらんこをこげるのですね。たかくこいで「ヤッホー」といってみました。いいきもちですね。もっともっと、たかくこげたかもしれません。


 

 

さくらんぼの句

  

        さくらんぼの句   福本めぐみの評

 

 

教室で別れを惜しむ卒業式  高一  松田 剛

 卒業式を終えた後の情景でしょう。それぞれの思い出の詰まった教室で別れを惜しんでいるのです。友達と、先生と、尽きない思い出を語っているのでしょう。みんなが教室を去りがたい思いでいっぱいなのです。

 


大試験震える腕をおさえつつ  高一  北村 壮

なんという緊張感。そういえば、筆者も答案用紙に名前を書くときに手が震えたことを思い出しました。作者は自ら、落ち着け、落ち着けと腕をおさえたのでしょう。

 


鬼は外自分の心へ豆をまく  中三  笠間優里

いろいろな思いで豆まきをする人があると思いますが、作者は自分の心にまきました。自分の心を見つめた時に「改めたいな」と思う部分があったのかもしれません。小さな子どもなら、怒り鬼や泣き虫鬼といったところでしょうが、さて、中学三年生の心はもっと複雑なのでしょうか。

 


卒業が近づき僕の部屋できる  中一  岸 空大

もうすぐ中学生。そろそろ勉強も大変になるということで、一人部屋になるのですね。少しずつ自立するということです。自分に責任を持つということです。中学生という新しい世界へ踏み出すのですね。

 


太陽は梅に愛情そそいでる  中一  本城由比奈

さまざまな花が太陽の恵みを受けていると思いますが、寒さのなかに咲く梅にこそ、特に太陽が愛情をそそいでいると感じたのです。太陽のあたたかさを特に強く感じる季節感がよくでています。


雪残る山道歩くざくざくと  小五  山村真市

山道に残っている雪「残雪」です。少し凍っているのでしょう。ざくざくと力強く踏みしめて歩くようすが気持ちよく想像できます。空の色や冷たい風の中にも春を感じて歩いています。

 


帰り道春一番の強い風  小四  山村侑己

一日中強い風が吹いていたけれど、帰る時もやっぱり強い風。歩くのも大変なくらいだったのかもしれません。

 


うぐいすがきれいな声で鳴いている  小三  くらたあき

きれいな声の鳥の名前は「うぐいす」と知ってからうぐいすの声によく気づくようになったのではないでしょうか。うぐいすのよく鳴く春は気持ちがいいですね。

 


わらったらまえばにあおのりついていた  小二  山村竜暉

おいしいものを食べてごきげんなのかな?わらったらまえばにあおのりがついていました。じぶんでは、じぶんのあおのりはみえませんから、だれかがおしえてくれたのでしょう。おしえてくれたひとのまえばにもあおのりがついていたかも、なんてかんがえると、すごくたのしくなってきました。

 


おひなさまもう一ど見てがっこうへ  小二  難波美帆

おひなさまをかざったよろこびや、きれいなおひなさまへのあこがれ、おひなさまはどこをみているんだろう。などと、おもうともういちど見てみたくなります。私も、いつも、もう一ど見ています。

 


おばあちゃんのとしのかずほどまめたべた  年長 難波孝太朗

「おばあちゃん、いいなあいっぱいたべられて」といったら「いいよ、おばあちゃんのとしのかずたべても」といわれたかどうかわかりませんが、いっぱいたべてまんぞくしましたね。

 


ぶらんこをこぎヤッホーといってみる  年長  くらたともひろ

じょうずにぶらんこをこげるのですね。たかくこいで「ヤッホー」といってみました。いいきもちですね。もっともっと、たかくこげたかもしれません。

 


じてんしゃでたんぽぽのみちはしってよ  年中  岸 しゅうた

おかあさんにじてんしゃにのせてもらっていて「たんぽぽのみち」をはしってくれるようにおねがいしているのです。なんてすてきなきもちのいいひなのでしょう。


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

       

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