八月号(H28)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  地蔵盆

 地蔵盆。懐かしい響きである。夏休みの締め括りには欠かせない地蔵盆。関西地方の子供達にとっては楽しみの行事である。では、地蔵盆の由来は、と調べてみると、さまざまな由来が語られている。その中の一つに、平安時代の歌人、小野篁(おののたかむら)の話がある。
 小野篁は昼は朝廷に仕え、夜は地獄の閻魔大王の下で仕事の補佐をしていた。ある日、地獄で苦しむ死者に変わって、閻魔大王が自身の体を地獄の火で焼いているところを目撃。実はこの閻魔大王は地蔵菩薩の化身であったのだ。地蔵菩薩はあらゆる人を救済するように仏から委ねられていたため、地獄にいる人も閻魔大王になりながら、救っていたのであった。これを見た小野篁は閻魔大王を救うべく供養を始めた。これが地蔵盆の始まりと言われている。親より先に亡くなった子供を親に成り代わって鬼から守ったとも言われ、地蔵盆は子供の成長と幸せを願う行事として、近畿一円に広まったと伝わっている。


地蔵菩薩を六体祀った六地蔵。仏教の六道輪廻の思想。全ての生命は六種の世界に生まれ変わりを繰り返すとするもの。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道を教化する菩薩の総称が六地蔵と言われている。京都の六地蔵参りは地蔵盆の日に巡拝されている。
地獄道、餓鬼道に落ちないように、人道より天道へと向かえますようにと願うのは人の常。今生きている人道の世を天道の世にするには俳句が一番。真実の魂には真実の俳句が授かる。ここを目指して精進してゆきたく思う。

 

 



 雲母の小筥(短夜・薔薇を詠む)    北川栄子選

 

   思ひ出は湧きて尽きざり明易し  狩屋可子


北川栄子の寸評

   過日、吉年虹二先生がなくなられた。いつからかお目にかからなくなってしまい、淋しい限りである。
思い出と言うのは、一つずつ箇条書になど出来ないが、いつだって自分の心から取り出せるものなのである。吟行、初旅、夏行、探秋会等もそうだ。思い出す事により、沢山の故人をより身近に感じる事が出来る。





    未だある潜るときめき薔薇アーチ    松葉郁子

北川栄子の寸評

   私を含めて、女性はちょっとしたときめき気分を持っていると思っている。薔薇のアーチを潜ればその向こうに何か良い事がある様な、別にそれが何であっても構わないのである。そこに広がる景色の美しさや、風のここち良さ、人との出会いかも知れない。ようするに、ときめくと言う宝物を持っているのである。




心に残る句    倉田美恵子

 

 螢袋おこす風出て雨あがる   吉年虹二

 

 
  
  蛍袋の咲く頃はそろそろ梅雨入りの時季になります。雨に濡れそぼち、項を垂れた蛍袋は何とも哀れですが、雨があがる兆しに徐々に項をおこします。蛍袋は可憐で清楚なばかりでなく、風雨に逆らわず静かにしのぐ強さも備えた花のようです。
 吉年虹二先生の俳句講座(朝日カルチャー中之島教室)の受講生となって暫く経った時、虹二先生御指導の少人数の句会にお誘いいただき吟行というものを初めて体験しました。吟行地は主に近つ飛鳥・風土記の丘。其処は四季折々の豊かな自然に恵まれた処です。ある日、丘の小流れに沿って行くと蛍袋が咲いていました。清流に微かに揺れて咲く蛍袋は一穢無き白に見え感動しました。
 虹二先生は赤よりも白や淡い色、野にあるような草花を好まれ、御一緒に丘を巡ったものです。もう先生のお出ましは叶いませんが、幹事様の御愛念で風土記の丘の吟行は今も続いています。
 拙宅の庭にも白と薄紫の蛍袋があります。土に合ったのか四十年の間に増え広がり、生垣の間にも躑躅の根本にも庭石の隙間にまで清らかな花を咲かせます。蛍袋は何処に咲こうがその場と調和し、群生しても楚々とした風情のある不思議な花だと思います。
 二年前、入院中の夫に庭の蛍袋を写メールすると返信に〈家に居る時はゴチャゴチャした庭だと思っていたけど、こうして見るとまるで楽園の様だね〉とありました。夫が植えた木々、恙無い暮し、平凡な明け暮れ・・・入院前の日々こそが楽園そのものだったのだと気付き涙が溢れました。程無く夫は帰らぬ人となって了いました。私は庭中の蛍袋を剪って柩に手向けました。



一句鑑賞    森川千鶴

岩垣子鹿の一句鑑賞 −句集「やまと」−

 

かさと栗鼠かさかさと鳥荘の秋     岩垣子鹿

    句は軽井沢辺りであろうか。賑わった高原も静まり、めっきり秋めいて来た。庭に動物達の気配も戻り、姿を見ることも。野性の動物を身近に、自然に溶け込むような暮しが見える一句。あこがれでもある。




     

 

  

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