古賀しぐれの評
《麦飯世代》。戦前、戦中の生まれを指すのであろう。あの戦後の厳しい時代を生き抜いてきた世代。戦後生まれにはない、強さ、しなやかさを持ち続けている。その麦飯世代もいよいよ老境に入って来た。しかし元気である。俳句をしている方々は殊に元気溌剌。春夏秋冬を問わず、吟行に赴き、常に切磋琢磨されている姿は尊い。老を後ろ向きに捉えず、常に前進あるのみ。作者もそうあろうと意識されていると思われる。健やかなる老い。誰しもが望むところ。やはり俳句は明るく前向きが好もしい。健康なる魂に健康なる俳句が授かる。それを証明してみせた俳句である。
古賀しぐれの評
藤の風と笙の音色。この句にはこの二つの素材のみ。場所がどこであるか、人はどうであったか等は一切表現していない。そこに美しさがあると思われる。おそらく春日大社であろう。神前には懸り藤が見事に傾れ、藤浪を打っている。その匂うが如き藤の風は神事の笙の調べとなって大前を吹き抜けてゆく。藤の風と笙の調べ。なんと優雅な景色であろうか。このシンプルさこそが俳句の真髄である。
古賀しぐれの評
奈良公園では六月に入ると鹿のベビーラッシュ。鹿苑では中に入って近々と子鹿を眺めることが出来る。子鹿の四連作が見事である。じっくりと観察しなければ出来ない句ばかり。そして子鹿に対する慈しみの心が溢れている。生まれたばかりの子鹿でも三十分もすれば立って歩き始める。立ち上がって、跳ねてみて初めて天地を知る。正に子鹿自身となって詠んだ句と思われる。慈しみの心が慈しみの句を生む。そう感じさせてくれる子鹿の連作である。
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福本めぐみの評
入学してより慌しく忙しく過ごしきて、今日は雨。若葉の色を落ち着かせるように降る雨に、いつもは祖母が愛用している揺椅子に身をゆだねる事にしました。「拝借す」という大人っぽい、いえ、お婆っぽい表現にくすりとしてしまいます。
福本めぐみの評
あめがあがって、にじがでるのはめずらしくありませんが、「かけわたる」ということばに、にじをみたこころのたかぶりがすなおにあらわれて気持ちが良いです。
福本めぐみの評
そうですね。でも、これで、おやつがかえたらいいのにね。もしかしたら、こぎつねさんが、つかってるかもしれませんよ。
さくらんぼの句
さくらんぼの句 福本めぐみの評
静けさに流れる滝と包む森 高一 北村 壮
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近江八幡
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