九月号(H28)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  子規忌

    糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな   子 規

 九月十九日は正岡子規の忌日。獺祭忌、糸瓜忌とも呼ばれる。冒頭の句は子規の絶筆の句。カリエスが悪化して仰臥の状態になりつつ、死ぬまで俳句を詠み続けた。


一方、子規は日本に野球が導入された最初の頃の熱心な選手でもあった。肺結核で喀血するまでやっていたと言われている。ポジションは捕手であった。自身の幼名である「升(のぼる)」に因んで、「野球(のぼーる)」という雅号を用いた事もある。これは、中馬庚がベースボールを野球(やきゅう)と翻訳した四年前の明治二十三年のことであった。読み方こそ異なるが《野球》という表記を最初に発案したのは子規であったのだ。

 「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライボール」などの外来語に対して、「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」という翻訳案を創作、提示したのも子規であった。

    まり投げて見たき広場や春の草       子 規
九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす  子 規

 野球に関係ある句や歌を詠むなどして文学を通じ野球に貢献した子規は、平成十四年に野球殿堂入りを果している。イチローの世界記録達成、甲子園の高校野球の盛り上がりを、子規が生きて居たらどんなに喜んだことであろう。俳人で野球ファンは結構多い。斯くいう私も阪神ファン。子規の影響があるのかないのか。いずれにしても、子規のように俳句、野球を楽しみ、一途に今を大切に生きてゆきたく思われる。


 



 雲母の小筥(紫陽花・青簾を詠む)    松田吉上選

 

   紫陽花を描く水音を入れて描く   早川水鳥


松田吉上の寸評

    一瞬つっけんどんな感じがするかも知れないが、作者には十分な計算がある。一つは切れを伴うリフレインの効果。「描く」という終止形の繰返しで鑑賞者にぐいぐいと迫って来る。もう一つは「水音」である。前半の「紫陽花を描く」で鑑賞者は視覚を働かせるが、後半の「水音」では聴覚を働かせざるを得ない。鑑賞者の目と耳を虜にして句が立ち上ってくるのだ。俳句のツボを心得た鮮やかな秀句である。





    ひいまごのいないいないばあ青簾     岩田まさこ

松田吉上の寸評

    曽孫を相手のほほえましい一齣。青簾を使ってのかくれんぼだ。病める身のほっと和む一瞬であろう。「いないいないばあ」という意表をつく中七。簾の向うの曽孫の「陽」、こちらの作者の「陰」。そして季題「青簾」が句の中を上手に立ち回っている。九十二歳、余裕の一句である。
 作者の一日も早い回復をお祈りします。




心に残る句    

 

 9月号の「心に残る句」はお休みです


一句鑑賞    狩屋可子

吉年虹二の一句鑑賞 −句集「狐火」−

 

高原はどこか雨降り蕎麦の花     吉年虹二

     日照雨か、霧雨か、どこかに雨が降っている高原。広い高原の景を一気に絞って目の前の蕎麦の花を叙す。白い蕎麦の花が風に揺れ出すと天気も定まり、高原は本格的な白秋となる。




     

 

  

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