古賀しぐれの評
奈良公園の鹿苑では六月から七月にかけてが鹿のベビーラッシュ。最近では鹿苑の奥まで入れるようになり、金網越しに生まれたての鹿の子を観察することが出来る。鹿の子の三句ともによく観察が出来ている。作者は鹿の子に成り代わって生まれて来た世界を見ているよう。殊にこの掲句は素晴しい。新緑から万緑となる奈良公園の美しい自然。その神の杜に守られて誕生した鹿の子。つぶらな瞳は穢れを知らない。その瞳をみて思わず出来た句ではないだろうか。鹿の子の可憐な姿を瞳に集中させて詠った。森羅万象が鹿の子の誕生を祝福しているようである。
古賀しぐれの評
五月晴は梅雨晴間のこと。昨日まで重く垂れこめていた梅天。ハルカスも梅雨雲にかき消されていたのであろう。そして一転の五月晴。天を衝くかのハルカスは青空にくっきりと浮かんでいる。が、そこは梅雨のこと。しばらくすると梅雨雲が過ってゆく。それを《ハルカスに雲のつまづく》と表現。ハルカスの高さと梅雨雲の低さ、重さがこの措辞からぴたりと来る。炎天でも秋天でもない、梅雨晴間、いわゆる五月晴の季題が動かない。簡潔な詠い方がいかにも摩天楼ハルカスの姿を描き出している。
古賀しぐれの評
ロープウェーと万緑。かなり常套的な素材である。その常套句から逸脱させたのは、《万緑もまた燃ゆるもの》という措辞。万緑が燃ゆるとは普通言わない。しかし、ロープウェーの空から一山の万緑を見下ろすと、なるほど万緑の勢いに圧倒される。万緑と言っても一色ではない。赤く、黄色く青くさまざまな色に燃え上がる樹林。正に燃え上がる万緑なのである。固定概念を覆した一句である。
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福本めぐみの評
中学校の更衣は一斉におこなわれます。紺や黒地のものから白に一変します。明るい日差しが一層明るくなり、会話もまた弾みます。そんな教室の変化を逃さず感じ取って客観的に見る作者の心もまた明るく軽くなっているのです。
福本めぐみの評
植田だった田んぼが今は青田になって、吹き渡る風が部活を終えた汗の身体に気持ちよく感じます。その、心地よさは、学校生活になれ部活動を頑張る充実感に満ちています。
福本めぐみの評
しょうがっこうにいったらプールもあるよとたのしみにしていたのに、まちにまったプールの日は、あさから、あめ。それも、どしゃぶりです。がっかりです。
さくらんぼの句
さくらんぼの句 福本めぐみの評
教室が明るくなつた更衣 中三 笠間優里
そんなにたくさんのやご、どこにいたのかな?やっぱり、プールのそこ?そのやごを、きょうみいっぱいでみつめているみんなのかおを思いうかべます。
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