一月号(H29)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  酉年

  

   《酉年》はどうして「鶏」ではなく「酉」と書くのか。「酉」は元々は酒を入れる壺の象形文字。十二支では「とり」に当るが、本来は鶏とは全く関係のない文字なのである。十二支はそれぞれの月を示すときにも使われ、十番目の月は酒造りの季節だったことから、酉の文字が使われたとか。酉だけでなく干支の動物は、民衆が覚えやすいように適当な動物が当てられたようなのである。
 日本で最初に文献に鶏が現れるのは「古事記」においてである。天照大神が天岩戸に隠れ、世界が悉く闇になったとき、八百万の神が「常世長鳴鳥(とこよながなきとり)」を鳴かせ、天鈿女(あまのうずめ)を舞わせて、天照大神を呼び出す話。古来より鶏は朝一番に鳴くことから、縁起の良いものとされてきた。人間にとって一番身近な鳥で、五千年以上も前から飼われていたという歴史を持つ。暁を告げ、闇を払う鳥ということで、太陽に関係ある霊長として尊ばれて来たのだ。鶏の鳴き声は時を知る手立てとされ、丑の刻(午前二時)に鳴くのを一番鶏、寅の刻(午前四時)に鳴くのを二番鶏と言っていたのだ。


いよいよ酉年の幕開け。太陽神である天照大神の再登場よろしく、酉年のこの一年を明るく健康に過ごしてゆきたいものである。健康なる魂には健康なる俳句が育つ。この事を念頭に、ホ句の道をみなさまと共に羽ばたいてゆきたく思う酉年の年頭である。





 雲母の小筥(秋高し・紅葉を詠む)    北川栄子選

 

  城跡の空のからつぽ秋高し    森本恭生


北川栄子の寸評

  廃藩置県の折の取壊しの為なのか、本来あるべき筈の城が無いのである。礎石だけが残る城跡に筒抜けの青空がより高く感じられ、それと共に空虚さが伝わってくる。
 かつて城のあった時代の栄光を偲ぶことも出来るし、歴史を振り返る事も出来る城跡には、特別な何かを感じる事が出来る。






    秋高し泰平の世の城美しき     安部州子


北川栄子の寸評

   戦国時代の城は戦いの為、領地を守る為に創意工夫を凝らして築城されたのだと思う。振り返って今、平和な世の中で見る城は、戦の備えさえ美しく見える。まして国宝と呼ばれる築城当時のままの城なら尚更である。空の青さが城をより美しく見せる演出をする。





心に残る句    吉川昭子     

 

 神農の虎坐らせて笹を置く      山内山彦

  この句から神農祭の賑わいの様子、緑の五枚笹に黄色の張子の虎を授かり大勢の人波に少し疲れ、赤い毛氈の敷かれた長椅子に、まず虎の張子を坐らせ笹を置き、腰を下ろす作者の繊細な心配り、神農祭の雰囲気を楽しんでいる様子、わずか十七文字からこの句の背景と色彩が目に浮かび、心惹かれた心に残る一句です。
子育てから解放され自分の時間が出来、何か始めたいと新聞のカルチャー講座の欄に、俳句入門若干名募集と有り、早速申し込みました。俳句に関しては全くの初心者。俳句の一から御指導頂いたのが山内山彦先生でした。
先輩の方から最初から山彦先生に教えて頂ける事は大変幸せな事だとお聞きしました。


先生の講義は意義の有る充実した時間でした。又講義が終わってクラスの仲間達とお食事に行き、先生を囲んで俳論や色々楽しいお話を聞かせて頂いたのも良い思い出です。その時の講義の資料は今も大切にして居ります。
初めて作った拙い俳句にも、丁寧に批評をして下さり、励ましの御言葉を添えて下さいました。
初心者を頑張ろうと思わせる様に上手に育てられる先生でもありました。
残念ながら平成十年の五月、多くの門下生の方達に惜しまれながら御逝去されました。
時々気分が俳句離れになり、限界を感じる時があります。そんな時最初に教えて頂いた三つの基本を思い出します。
感じ方・写生・省略。初心に戻り俳句の面白さ奥深さを今一度学びたいと思います。
曲りなりにも俳句を続けて来られたのは先生との出会い、励ましの御言葉が有ったからと感謝致して居ります。

 


 

 


 

 



一句鑑賞    山村千惠子

高木石子の一句鑑賞 −句集「顕花」−

 

夜の雪にもの言ふことの静かなる   高木石子

  雪の夜。地球温暖化で、昔ほどの雪が降りそのうえ積もることなど最近では少なくなった。それでも雪が降るとなぜか音が吸い込まれて空気がぴんと張りつめてくる。周りの音が小さいと思わず話し声も小さくなる。雪の夜の寒さの中のひそやかな会話、また雪が降りだしたよと。




     

 

  

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