二月号(H29)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  別火坊

  

  二月堂の修二会というと、あの二月堂を走り抜ける勇壮なお松明や、若狭井から汲まれるお水取りをすぐに思い浮かべるが、これは修二会の本行。それに先だっての行がある。修二会には毎年十一人の連行衆が出仕すると決められている。

その連行の準備や練習をするために入るのが別火坊。使う火を世間と別にする生活をすることから、《別火》と呼ばれる。別火の前半は試別火(ころべっか)と呼ばれる。試別火は本行に備えての精進の期間であり、紙衣(かみこ)など行中に使用するものの準備や修理、《花ごしらえ》《灯芯ぞろえ》というお供え物作りが行われる。

試別火は二月二十日から二十六日まで。その後、惣別火(そうべっか)に入る。惣別火になると一般の人の入室は禁止、連行衆の私語も禁止される。その日から土踏まずといい、別火坊から出ることも許されない。惣別火は二月二十六日から二十八日まで行われる。 東大寺戒壇院の庫裡に別火坊と称して連行衆が泊まり込んでいるが、二月末日に、運よく行き合わせたならば、本行へのお供えの餅つきを庫裡の前庭で見られたり、連行衆の二月堂参籠宿所へ向かう行列を見ることが出来たりする。この頃には奈良の底冷えも少しは緩み、戒壇院界隈の梅も綻びはじめる頃。春の到来を告げる囀りの中、いよいよ二月堂修二会の本行がはじまるのである。俳人にとっては悠久の昔を味わえる、願ってもない空間。しばらくは二月堂詣の日々がつづく。



 雲母の小筥(冬暖・大根干すを詠む)    松田吉上選

 

  免許証返納と決め冬ぬくし     西尾澄子


松田吉上の寸評

 昨今、高齢者の運転による自動車事故が非常に多い。とっさの判断がにぶったのか、病気の突然の発症で意識を失うのか。兎に角、一瞬にして自分の余生も相手の人生も狂わせてしまう。作者は古稀を過ぎ、きっぱり運転免許証の返納を決めたのだ。車がなくても何とかなる環境におられるのだろう。何とも爽やかな決断である。タイムリーな話題の上五中七に季題「冬ぬくし」がぴったりと寄り添う。句柄が素直で明るく、二句一章の平衡感覚が素晴しい。

 




    干大根ラインダンスの始まりぬ     東郷ミチ子


松田吉上の寸評

   大木の枝々に拡がっている干大根を見た時、作者はそれらを「ラインダンスの始まりぬ」と詠った。侘・寂でなく、抒情でもなく、「物のあはれ」でもなく、作者はあくまで明るく楽しい鑑賞眼をお持ちの様だ。この措辞により、沢山の、白くて太っちょの足が青春を謳歌しているのが見える。句の躍動感が半端じゃない


 




心に残る句    駒野牧堂     

 

 湖の初明かりしてきた里けり    梅本峡童

  高島市今津町の琵琶湖岸の周遊基地には、今津俳句会の初代主宰「梅本峡童」の句碑があります。 この句碑には「昭和五十一年四月建之今津俳句会」と碑に刻してあるので、今から四十年程前のこととなります。私が、この句碑と出会ったのは昭和五十七年この地に転勤してきてからであり、梅本主宰にお会いしたことはありません。 当時私は俳句というものに対して全く関心がなく、この句碑を見たとき、「なんでこんなものがここにあるのか」程度で全く興味がありませんでした。 また、どうせ二・三年で異動となるので、この地は通過点である。との感が否めなかったのです。 しかしながら意に反して、その後、部内での異動はあるものの、他府県に行くことはなく、とうとう定年までこの地で過ごし現在に至っております。

振り返ってみると、私がこの地にきてすぐに気付かされたことは、琵琶湖国定公園という名に相応しい、四季を通じて風光明媚な環境が整っていることであります。 これ即ち、「俳句環境としては申し分がない」ということでもある訳です。 そして感じたことは、こんな素晴しい土地に住まわせてもらいながら、ただ日々漫然と過ごし、歳を重ねていくのは心残りであるということでした。 何か人生の記録として残せないものか考えたとき「俳句」が最適ではなかろうかと気付き、東京の某俳句結社に入会をしながら、湖西地方をアピールしてきました。 掲出の句の季題は「初明かり」、一読して単純明快であります。 しかしながら、単なる「初明かり」ではないのです。 「日本一の大湖の新年が、伊吹山の背中より今まさに明けようとしている。この雄大で厳かな眺めは、この地に住んでいるものにしか分からないだろう。初日の出が待ち遠しい」。 まさに「初明かりしてきた里けり」なのです




一句鑑賞    藤田奈千巴

岩垣子鹿の一句鑑賞 −句集「やまと」−

 

往来する声落ちてをり犬ふぐり    岩垣子鹿

 

早春、道端に星の如く青い小花を咲かせる犬ふぐり。
往来する人はまばらだが、人の気配や話し声を心待ちにしながら健気に咲いている。
もしも犬ふぐりに心があったならと思わせてしまうような優しい句である。




     

 

  

Copyright(c)2017biohAllRightsReserved.