古賀しぐれの評
住吉大社の数ある末社のなかでも、俳人が最も大切にしているのが歌神社。住吉大社は航海の神であり、また和歌の神とされている。四月には松苗神事、九月には観月祭など、その折々に短歌や俳句の募集があり、大前で披露されている。その住吉大社で毎月開かれている住吉句会。住吉さんのお計らいで、歌神社の間近の句会場をお借りしての句会。作者もその熱心な参加者である。欠かさずに歌神社に佳句の授かりを祈念して句作に励まれているのであろう。《我が生涯の恵方》とは素晴しい心掛けではないか。すべてを神に委ねればこその無心の句作。住吉の歌神に守られての、正に極楽の文学の極みの境地なのであろう。
古賀しぐれの評
高山右近は戦国時代のキリシタン大名。洗礼名はジュスト。バテレン禁止令により追放され、マニラで没している。キリシタン禁制により隠れ耶蘇となった山里。今でも隠れ耶蘇の墓やクルス山が残されている。その隠れ里の連句。榾木、風花、落葉、冬薔薇、寒夕焼と隠れ耶蘇に相応しい季題の斡旋。殊に掲句の《寒夕焼》が高山右近の無念をしみじみと語っている。淡々とした詠いぶりが、余計に厳しく哀しいバテレンの重い歴史を浮かび上がらせている。
古賀しぐれの評
好きで好きでたまらなかった俳句。作者にとって句会は正しく極楽浄土であったろう。ご主人の介護によってその参加もままならなくなってしまった。しかし俳句魂は健在。介護の暇を見つけては句作に余念がない。ペンを持ち俳句の世界に没頭すれば、それまで悴んでいた心も解けてゆく。虚子の説く極楽の文学を実感している一句とも思われる。
さくらんぼからのお知らせ
高校生の方もどしどし投稿下さい
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振り向けば雪山まぶしターンかな 高二 本城七海
福本めぐみの評
スキーかスノーボードのターンをして止まるシーンを想像します。その目線の先に新雪を積んだ雪山が日を返して輝いています。雪山の雄雄しい姿と、シュプールが描かれるゲレンデがいきいきと目に浮かびます。
福本めぐみの評
竹馬は冬の季語です。この頃は、町中で竹馬をする子どもの姿を見ることはあまりありませんが、その分、学校や、保育園などで取り組むところが多くなりました。始めはバランスをとる事が難しくて何度も、何度でも転ぶのですが、汗をかく頃には少し楽しく、少しこつもつかむのでしょう。
福本めぐみの評
はるのつちをおしあげてしもばしらがたっています。ひとつひとつがこおりのはしらです。かおをちかづけてみると、おしろのようにみえます。アナとゆきのじょおうのこおりのおしろがたちあがっているみたいです。
さくらんぼの句
さくらんぼの句 福本めぐみの評
異国にて自国を思ふクリスマス 高二 北村 壮 クリスマスだからこそ思うことがあります。幸せについて、愛について思うことは様々でしょう。外国にいるからこそ自分の国、日本のことを考える機会となりました。もう、プレゼントに浮かれている年頃ではないのかもしれません。クリスマスの意味も深くなります。
スキーかスノーボードのターンをして止まるシーンを想像します。その目線の先に新雪を積んだ雪山が日を返して輝いています。雪山の雄雄しい姿と、シュプールが描かれるゲレンデがいきいきと目に浮かびます。
受験生なのでしょうか。机に向かいながら、窓の外の声を聞いています。飛び出して行きたい気持ちを抑えている分、外の声は楽しそうです。
五時下校という言葉の切れがいいです。少し日脚も伸びて明るい下校道、豆撒きの豆がおちています。春の訪れを感じる作者です。
竹馬は冬の季語です。この頃は、町中で竹馬をする子どもの姿を見ることはあまりありませんが、その分、学校や、保育園などで取り組むところが多くなりました。始めはバランスをとる事が難しくて何度も、何度でも転ぶのですが、汗をかく頃には少し楽しく、少しこつもつかむのでしょう。
お習字のことならおばあちゃんに聞くのが一番。二文字?四文字熟語?「書初や昔は忠と孝なりし」と決まり文句があったのかもしれませんが、今はどんな言葉を書くのでしょう。姿勢を正してする書初めはいいものです。
自分でも思っていなかったような大きな感動の声が出てしまいました。それだけで、どんなに素晴らしい景色だったのかといことが分かります。一生、心に残る景色となりました。
あたらしい年のあたらしいもくひょう。やるきも元気も「もりもり」です。
なんまいねんがじょうきた?ときょうだいでかぞえっこしたりするのはおしょうがつならではのたのしみですね。しんがっきに友だちとくらべっこするのもたのしみです。
てにうけてみるとゆきはとてもうつくしいかたちをしています。これが、ゆきのけっしょうだよ。ろくかっけいなのですよ。とおそわっているのかもしれません。わあ・・・とかんげきしてみているうちにきえてしまいました。「すぐ、きえた」からさらに、きれいにかんじます。
ラグビーもはげしいスポーツです。ひとつのボールをとりあって、まるで、とっくみあいのけんかみたいです。みんなびしょぬれになってもへいきでたのしそうです。
今年は家にじっと閉じこもらなければならないようなふぶきの日がありました。この頃のシールは「てちょう」(このいい方が正しいのかどうかわかりません)にもはれる楽しいものがいっぱい。友だちと交かんごっこをして、時間を忘れるほどです。
初めての小学校。たくさんのともだちができて、たくさんのおもいでができて、もう、三がっき。このぶんなら、あっというまに三がっきもおわりそうです。しんきゅうのきたいもふくらみます。
はるのつちをおしあげてしもばしらがたっています。ひとつひとつがこおりのはしらです。かおをちかづけてみると、おしろのようにみえます。アナとゆきのじょおうのこおりのおしろがたちあがっているみたいです。
ゆきのたまは、まいおりてくるゆきのひとつぶのことなのでしょうか。てのひらにのせてよくみると、ろくかっけいのゆきのけっしょうをみることができました。なんてきれいなのでしょう。
めずらしくゆきがつもって、ゆきあそび。はじめてのほんかくてきなゆきにおおよろこびでかけまわるすがたがそうぞうできます。あせをかくほどいっぱいあそんで、びしょぬれのどろだらけになりました。でも、からだもぽかぽかとしてえがおいっぱいになりました。
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