古賀しぐれの評
岸和田城吟行の折の句である。岸和田は岡部氏五万石の城下町。小さな天守が復元されている。その天守よりの見晴らしは素晴しい。茅渟の海の彼方に淡路島を望め、反対側は金剛、葛城の連山が遠く聳えている。この日は生憎のとの曇り。遠望が利かない日でもあった。そこで掲句登場となる。《つちふれり》の季題が絶妙に効いている。海山の景色を望みつつ、この城下町の空までもが岡部の領地であったのだという発見。中国大陸の砂塵がこの城下町の天空を覆っている。それは黄砂に攻められているようでもある。遠く戦国の世の岡部の領地と遠い中国よりの黄砂が作者の思いを天上にまで広げたのだ。城下町の景色より思わぬ発想が飛び出した。これも俳句の大いなる効果であろう。
古賀しぐれの評
「生飯台」は「さばだい」と読む。生飯は「衆生の飯」の意で、餓鬼や鬼子母神などに供するため、食前に取り分けた少量の飯のこと。屋根などに撒いておく。修二会の僧が供しておいたものを奈良の鹿が食べに来ている。いかにも参籠の二月堂らしい光景ではないか。仏に仕える身は自身のことよりもその周辺の生き物であったり、仏に気を配らねばならない。世の生き方を教わる修二会の作法とも言えよう。修二会の句としては面白い発見句となった。
古賀しぐれの評
住吉大社では大阪場所に毎年立浪部屋がやってくる。宮土俵では稽古姿も観覧出来る。その相撲部屋に丁度食材が運びこまれたのを目撃しての一句。「相撲」自体は秋の季題なので、なかなか春場所の雰囲気が出しづらいもの。それを《春キャベツ》という具体的な季題を持って来たところがこの句の手柄。しかも《百》という数字がよく効いている。大食漢の力士の腹を満たすご馳走となるのであろう。
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福本めぐみの評
水牛の引く車に乗って揺られて行きます。道も地道で水牛のゆったりとした歩みに任せてよく揺れます。身を任せて揺られていると、心も身体も伸びやかになります。吹く風も暖かく出会う人々の心もあたたかく風景までもがあたたかく、やさしく感じられます。
福本めぐみの評
「まだひとり」。集団登校の朝かもしれません。誰かが来るまでの少しのひまによもぎを摘んでみました。指先に匂う香りに春を感じてひとりの時間を楽しむ自分を発見しているのかもしれません。
福本めぐみの評
とにかく、庭へでてみましょう。お日さまが気持ちいいですよ。と呼びかけられているように感じる句です。なにもかも、春らしい日です。
さくらんぼの句
さくらんぼの句 福本めぐみの評
水牛に揺られて風の暖かし 高二 北村 壮
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