海の神
いよいよ夏本番。海の日も近づいて来た。日本人と海とは切っても切れない関係である。海の恩恵も大いに受けて来たが、津波などの海の災害にも数多く見舞われて来た。古来よりその海の神として、航海関係や漁民の間で霊験あらたかな神とされて来た住吉大社。奈良時代には遣唐使の派遣の折、必ず海上の無事を祈り、無事の帰還を祈って来た。六百基ある石灯籠。その殆どは運送船業の関係者からの奉納である。古来より住吉大社は白砂青松の風光明媚なところから、万葉集や古今和歌集などに数多くの歌が詠まれてきた。
この春、日本人横綱稀勢の里が誕生した。大阪場所の前には、住吉大社での四横綱による土俵入りが奉納され話題となった。その住吉大社には横綱起源説話が残っている。弘仁年間(八一〇〜八二三)、住吉大社の相撲会(すもうえ)において最強を誇った近江の国の「はじかみ」という力士が居た。誰一人として相手になるものがなかったと伝わる。そこで行司は一計を案じた。神前の注連縄をとり、力士はじかみの腰に巻かせ、はじかみと相撲をとって腰の注連縄に手をかける者があれば、これを勝ちとするとしたものの、注連縄に触れることすら誰も出来なかったとか。この住吉の注連縄が《横綱》の起源であると伝わっている。
海の神であり歌の神であり、加えて横綱の起源とも深く関わっている住吉大社。この神々のご加護を戴き、永年未央の句会が披かれている。住吉大社に関わる相撲道と俳句道。横綱はじかみを戴くこの住吉大社で俳句道を極めてゆきたく思われる。
喪帰りの独りとなりぬ遠蛙 伊藤美代子
松田吉上の寸評
通夜の帰りであろうか、とっぷりと暮れた道を独りで帰ることになった。夜道の連れは遠蛙だけである。この句、目に見える物は一つも無い。作者が感じているのは蛙の声のみ。そう、一句が「遠蛙」という聴覚のみで成り立っているのだ。多くを語らずに「遠蛙」にのみ焦点を当てているので、作者の胸に浮かぶ故人の温顔や思い出等が深く心を打つ。懐かしさ、はかなさ、せつなさ、すべてを心に響かせる「遠蛙」である。
春惜む二十歳の猫の骨抱き 花野昭子
松田吉上の寸評
二十歳(はたち)の猫と言えば、人間なら百歳を超えているだろう。愛猫は何の不足もなく、人生(猫生)を全うしたのである。
作者は今、猫の骨を抱きながら、共に過ごした最後の春を惜しんでいるのだ。一句に、物言わぬ生き物に対する作者の愛の眼差しが有り、かつ、自然な詠みが惜春の情を深く感じさせる。
生活の大部分が仕事に割かれていた十数年前、俳句に誘われました。何も知らないまま気分転換になればと仲間に入れていただいたのですが、吟行の新鮮さと仲間の対等な関係が楽しくて今も続けることができております。
掲句は、俳句を始めてすぐの頃出会った句です。蕪村四十歳前後の作とのことですが、瑞々しい若さと躍動する心を感じます。素足の感触、水のパシャパシャという音、水面に映る草履を持った手、そして誰かに会いに行くという期待、全てが「うれしさよ」という言葉に結実しているようです。
作者の気持ちまでもが映像で見えてくるこの句の素直さに惹かれています。
吟行で、見ているものに気持が動かないことや、納得のいく言葉が生まれない時があります。その時にはこの句を思い出し、「素直に、正直に、肩の力を抜いて」と自分に話しかけています。
蕪村さんの時代、俳句は俳諧と呼ばれ数人で連句を巻くこともあり、旅に出ては同好の人達との句座を楽しんだそうです。有名な「菜の花や月は東に日は西に」も、五十九歳の時に三人で巻いた歌仙の発句です。
次々に句を続けて共同の作品を紡ぎ出していた時代だったのですね。「夏河を・・・」の句は、どなたと一緒の吟行だったのでしょうか。
時代は変わっても句座の楽しみは同じだと思います。吟行句会の皆さんの句を読ませていただくと、一句一句独立はしているのですが、その時の景が繋がりふわりとした心地良い気持ちになります。まさに句会の「うれしさよ」です。
今後もご一緒にと願っています。
高木石子の一句鑑賞−句集「顕花」−
よき話ばかりでもなし団扇手に 高木石子
親戚の伯父さんが我家にやって来た。相変わらずの汗かきである。扇子など役に立たぬと、我家の台所の団扇をバタバタと使う。
妻と子の挨拶を受け、「おうおう」と目を細めて機嫌よく喋っていたが、妻子が去るとブツブツ言い出した。
「お前のお父さんは何であんなに頑固なんだ。うちの家系で、あいつだけは変り者だ」とグダグダ文句を言い始める。
いったい何の用事だろう。いつまで長居するのだろう。狭い茶の間に伯父さんのガラガラ声と団扇の音が響くのみ。
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