九月号(H29)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  十五夜

  

 

   《中秋の名月》とも呼ばれる十五夜。秋を初秋、仲秋、晩秋の三つに区分し、旧暦八月全体を指すのが《仲秋》。対して《中秋》は「秋の中日」即ち旧暦八月十五日のみを指す。
十五夜の月を鑑賞する習慣は中国に由来するが、唐の時代頃からとしか分っていない。中国では現在も中秋節という祝日があり、盛大に祝われている。中国では当日月餅を食べながら月を観る風習がある。古代の月餅はお供えものとして、中秋に食べられていた。時は移り月餅は中秋節の贈り物に用いられている。月餅を食べる習俗も唐代から
と伝わっている。

 

 

   中国から日本に十五夜の月見の祭事が伝わったのは平安時代。貴族が舟遊びで歌を詠んだり、宴を催した。現代では薄を飾ったり、月見団子を供えるが、この月見団子、元々は収穫されたばかりの里芋を供えていた。十五夜の月を特に《芋名月》と呼ぶのは、ここから来ている。収穫を感謝する風習でもあったのだ。

 


  十数年前に亡き子鹿先生たちと吟行に行った菅浦の月が思い出される。琵琶湖の最北端の隠れ里めく菅浦。山の端から出た月は山を突き放すように菅浦の湖面に映る。漆黒となったがらんどうの琵琶湖の闇。冴え冴えとした月は刻々と大琵琶を渡ってゆく。隠れ里菅浦は十五夜の闇にしずまるばかりであった。

  みづうみの面は月に濡るるかな      古賀しぐれ



 雲母の小筥(河鹿・オリーブの花を詠む)    会田仁子選

 

  恋に恋せしオリーブの花の下       小井川和子


会田仁子の寸評

 

  オリーブの原産地は説によって一定しない。地中海沿岸では、紀元前から栽培されていた。イスラエルの国花。 若き日、誰もが一度は憧れた恋。「恋に恋せし」頃が懐かしい。「恋に恋せし」に対し「オリーブの花の下」ともって来たのが素晴しい。まだ本当の恋を知らない白い小さなオリーブの花が静かに浮き上ってくる

 

 

 




    静けさを更に深めて河鹿鳴く        吉川昭子


会田仁子の寸評

 

   山の池や渓流等に住む河鹿。辺りは水音と風音がかすかに流れるばかり。何処からか「ひょろひょろひひひひ」と河鹿の声が聞こえてくる。ただでさえも静かな山里。河鹿が鳴けば鳴くほど静けさは募るばかりである。作者の繊細な心が読める。





心に残る句    詫和子     

 

 湖中句碑てふ一本の月の影       古賀しぐれ

 

 

   私と俳句との出会いは、神戸市民講座の俳句入門に始まります。マンネリからの脱出に悩んでいた平成二十六年頃、NHK俳句テキストに、主宰の顔写真入の「未央」の広告を見つけました。なんだか親しみを感じ、わくわくする気持と不安も覚えながらレッツ俳句の門を叩きました。皆さんに暖かく迎えて頂き、その後神戸句会、武庫川句会にも参加、吟行の初体験に四苦八苦しながら今日に至っています。

 ある日、しぐれ先生の句集「淡海」の事を知り、是非読みたいと書店を回りましたがどこにも在庫がありません。あきらめかけていたら、ある方がご自分の蔵書の分を貸して下さいました。嬉しくて全句を筆写し、好きな句を書きとったりしていました。たまたまその話をしぐれ先生がお耳にされ、思いがけなく先生のお手許の一冊を戴くことになり大変感激いたしました。掲句は見開きページに水茎のあとも麗しく書いて下さったものです

 堅田の湖中に立つ虚子の句碑を詠まれたものですが、煌々と月明かりが射す中、ひたひたと波で洗われる湖中句碑、怖いような迫力が伝わってきます。
琵琶湖畔に生れ育ち、ご両親と同じように句の道を歩まれるしぐれ先生。湖の中に立つ句碑をしぐれ先生とするなら、一すじの月影はご両親が天上から先生を見守って下さっている慈しみの光ではないかと感じるのです。
この句集で私の好きな句はほかに、

大琵琶といふ盃に初日満つ

あの日から月仰ぐとは偲ぶこと

鴨を待つ大琵琶がらんどうにして

 

などがあります。
しぐれ先生と出会い、俳句に向かう心構えを多少とも得られたことは私の喜びであり、これからも努力して行きたいと思っています。

 




一句鑑賞    山田佳音

吉年虹二の一句鑑賞−句集「河豚提灯」−

 

灯に来たる馬追庭に返しやる     虹二

 

  原稿を書く筆を擱き、書斎の硝子窓をふと見ると、灯りを求めて虫が集まって来ている。その中の馬追をつかまえ、庭隅の草むらへそっと置いてやったのだ。
部屋の明かりも消され、虫の音だけが聴こえる秋の夜更け。




     

 

  

Copyright(c)2017biohAllRightsReserved.