十月号(H30)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  西の虚子忌

  

東は修羅西は都に近ければ 横川の奥ぞ住よかりける      元三大師

   「わたしはこの元三大師の歌が好きで、同時に横川も好きである。坊さん連の此處横川に虚子塔を建ててやるといふ好意を嬉しく受け取つた」。これは高濱虚子先生の文章である。

 

  かくして、昭和二十九年十月十四日、虚子塔開眼供養に至ったのである。その後、昭和三十四年四月八日虚子先生がお亡くなりになったその秋、十月十四日に比叡山横川の虚子塔に分骨されたのであった。その法要に列席した中井余花朗の文章がある。

 

 

 

 「法要は百人近い俳人が横川大師堂一帯を埋め尽くした。参詣者の中からすすり泣きの声が聞こえる。法要後、虚子塔に向かった。虚子塔には秋草の供華に道の辺の水引や千草が添えられ、そこらで拾った栗さえも供えられていた。小鳥が鳴き澄んでいた。秋の日は傾き、老杉を洩れて美しい。横川を去りやらぬ人々との別れを惜しんだ。私はこの十月十四日という日が永遠に横川に虚子先生を偲ぶ日となるであろうと思いつつ下山した」。

 

 

 

余花朗が一回忌を修した時に図らずも予感した通り、この日から十月十四日には毎年、俳人達が横川に集い、法要を修し句会をして虚子先生を偲ぶ日となったのである。虚子の娘である星野立子が《これよりは西の虚子忌と申さばや》の句をこの横川の句会で作られてより、この会は《西の虚子忌》と呼ばれるようになったのである。
十月十四日は日曜日となる今年。横川は大勢のホトトギス俳人が集われることであろう。私も父余花朗の虚子先生への思いを胸に参拝したく思っている。

 

 



 雲母の小筥(夜店・髪洗ふ を詠む)    松田吉上

 

  夜店の灯消えて独りの灯に戻る     植田みよ子

 


松田吉上の寸評

 

   ついさっきまで賑やかだった夜店の灯も、客が引きはじめて一つ二つと消えてゆく。店じまいの夜店も出始めた。さあ、私も家へ帰らねば。だが、独り住い故の淋しい灯へ帰るのだ。淡々とした語り口だが、生きることの厳しさ、哀しさが句に滲み出ていて、味わい深い。

 

 

 

 




   育ちたる夜店のひよこ持て余す      武田 茂


松田吉上の寸評

 

 夜店」と「ひよこ」の取り合せの句は多かったが、掲句は「持て余す」という諧謔味の効いた下五が成功した。以前、夜店で衝動買いした「ひよこ」が大きくなってきた。さあ、どうしたものか。思案投げ首の作者がユーモラスだ。もちろん、作者の心の優しさも読みとれる。





心に残る句    松下 薫     

 

 横顔に春宵といふ角度あり         蔦 三郎

 

  初めて掲句を読んだ時、「春宵の角度」とはいったいどう言うことなのかと頭をひねってみても確とした映像が浮かんで来ませんでした。しかしながら漠然とした解かるような、解からないような掲句が私を虜にしてしまいました。

 

 むずかしい言葉を何一つ使っていないのに、解らないなりに気になる一句となりました。「横顔」にしても、想像できそうでなかなか想像出来ないのです。
つまり各々の想像に委ねて、ポンと放り出されたような一句なのです。私にはまるで魔物のように思えて、そっと胸にしまっておいた方が好いかも知れない。永遠の宿題として胸にしまっておこうと思う程に印象深い一句となりました。

 


  蔦先生の御句は余りにも高尚すぎて、不勉強の私には歯が立たないけれど、時にはクスっとさせていただいたり、個性の一句に出合える事も楽しみの一つです。不勉強の私には、未央の皆さんの俳句が眩ゆいばかりで、いつも楽しみに読ませていただいております。そして半歩でも追いついて、列を乱さないように励みたいと存じております。
今後共よろしく御指導下さいませ。

 


一句鑑賞    田佐土子

吉年虹二の一句鑑賞−句集「やまと」−

 

 

猿茸と言ひ否と言ひ蹴られたる       虹二

 

  猿茸とはサルノコシカケのこと。癌の治療に効能があると言われている。
茸に気づいた時の言葉のやりとりが簡潔。蹴られたる≠ヘ、どこか第三者の目。
否定され蹴られて迷惑千万という茸側。くしゃりとした靴先の感触と、その後の虚無感ただよう蹴った側。両者に不思議な面白みを感じる。




     

 

  

Copyright(c)2018biohAllRightsReserved.