古賀しぐれの評
八月は未央の殆どの会がお休みだったので、丹波篠山の山南句会を訪ねた。雑詠でお名前は存じ上げているが、初めてお会いする方達ばかりであった。その句会に同行してくれた折の句。丹波は稲の秋を迎えていた。美林の里でもあり、檜皮の工房があった。そこに、掲句の屋敷神が祀られていたのだ。屋敷神とは屋敷内に祀る神、地主神のこと。自然とともに暮しがある丹波ならではの屋敷神。家内の神に毎朝お燈明を上げ、一日の無事を祈る。そして日々育ちゆく稲の無事の稔りを祈られるのであろう。正しく地に足の着いた暮しぶり。その屋敷神の灯りを見て《三伏恙なし》の措辞が浮かんだのだ。殊の外極暑であった今年。篠山の稲が無事稔りの秋を迎えていた安堵もあったであろう。
古賀しぐれの評
初秋という季題は微妙である。夏の果であり、秋の初めでもある。その感覚は人それぞれに違う。それを具体的な言葉によって初秋と感じさせるのが俳句。作者はこの季題設定が絶妙である。青畳は最初から匂っている。が、灯ともして、青畳だと感じた視覚は余計に嗅覚を刺激するということであろう。《灯して匂ふ》の措辞が《初秋》の季題にピタリと嵌る。この表現は作者にしか出来ない。
古賀しぐれの評
この句も宿下駄の事のみを詠って、庭草の茂りや庭草に宿るきらきらと耀く朝露までをも表現している。旅の朝、早々に目覚めた作者は朝露を置く庭へと宿下駄で下りたったのだ。《庭草に沈む宿下駄》の措辞が庭の草の茂りを的確に伝えている。《露涼し》の季題が見事である。
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福本めぐみの評
じぞうぼんのおみくじというのは、福引のことなのでしょうか。各家庭に子どもの数だけ福引けんが配られて福引をするのです。おもちゃや文具、洗剤など様々な景品が用意されています。一等賞はちょっと欲しいなと思うゲームだったりしてみんながねらっているのでしょう。作者もやはり一等賞をねらっていたのでしょうが、残念、二等賞でした。ちょっとくやしさがにじみます。
福本めぐみの評
山歩きをしていて教わったのでしょうが。くぬぎの木にかぶと虫がいるんだよと。その事を知ってからはくぬぎの木がどんな木なのか。どんな、葉っぱなのかどんどんきょうみがわきますね。くぬぎの木を見つければかぶと虫をさがす目になります
福本めぐみの評
今年の夏は火星が地球に大接近した年でした。家族で天体望遠鏡をのぞく機会があったのです。家族いっしょに火星を見たその特別な夜、どんな話をしたのでしょう。お父さんはなにを話してくれたのでしょう、お母さんは、作者は何を感じたのでしょう。作者の一生の思い出に残る夜になった事はまちがいありません。
さくらんぼの句
さくらんぼの句 福本めぐみの評
ためらわずクーラーつけて勉強す 中三 本城由比奈
八月の予定配られ目が回る 中一 狩屋佑菜
公園でまだまだやれると秋の蝉 中一 山村真市
台風で縮小された夏まつり 小六 山村侑己
角度変え線香花火長持ちだ 小五 山村隼士
空見上げあっとおどろく満月だ 小五 倉田 晄
じぞうぼんおみくじぜんぶ二等賞 小四 山村竜暉
山の上大きな大きな雲のみね 小四 難波美帆
山の中くぬぎの木にはかぶと虫 小三 かりやとうあ
夏の空家族いっしょに火星見た 小二 山中沓子
夏終わり秋の夕日がさしている 小二 倉田智浩
山の池いっぱいいたよ夏の蝶 小二 難波孝太朗
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