三月号(H30)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  雛人形

  

   ひな祭の歴史は古く、その起源は平安時代中期にまで遡る。今から千年も前の事となる。その頃は、上巳(じょうし)の節句と呼ばれ、無病息災を願う祓いの行事であった。陰陽師を呼び、人形(ひとがた)に自分の災厄を託して海や川に流すのである。

 

  上巳の節句が三月三日に定まったのは室町時代の頃。現在のような雛人形を飾って遊ぶのは江戸時代に入ってからの頃とされている。武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具のひとつに数えられるようになったと伝わる。今でいう《元禄雛》《享保雛》など、豪華絢爛たる雛が登場したのである。

 

 


 では、雛流しの由来は如何にと、ルーツを遡ると、古代中国にまで至ることとなる。古代中国では季節の変わり目は邪鬼が発生しやすいと言われ、三月三日の上巳の節句に水際でお祓いをする習慣があった。その一つとして、盃を水に流し、その流れている間に歌を詠む《曲水の宴》という風習があったようである。日本による人形のお祓いと、この曲水の宴の風習が合わさり、《流し雛》として各地で行われるようになったのだと伝わる。曲水の宴も俳句では春の季題として歳時記に載せられている。

  近江商人発祥の地と言われている、滋賀県五個荘や日野町などは、旧家にそれぞれ伝わる雛人形を飾り、自由に入って見学できる町おこしの行事が続けられている。近江商人の贅を尽くした雛飾りを拝見し、心安らぐひと時を過ごしてみたく思われる。

     豪商の二間つづきの雛明り      しぐれ

 



 雲母の小筥(霜月・古暦)    加藤あや

 

  一年の起承転結古暦       奥村つよし

 


加藤あやの寸評

 

   漢詩の絶句の構成法の一つである四字熟語を、大変うまく生かしてあります。古暦というと安易な表現になりがちな所を避けて、成功したと言えます。起承転結の利いた一年を送るのは、それはとても難しいとは思いますが。

 

 

 




    霜月や僧一列の草鞋掛        郷原和美


加藤あやの寸評

 

   草鞋掛とは草鞋穿きのことです。霜月は、太陽暦でいうと十二月頃です。寒さも本格的となります。周囲は枯れ色となり、もの淋しい感じの中、草鞋穿きの修行僧の列と出会ったのです。





心に残る句    萩山清子     

 

 遥かなる町の灯点る夕桜      徳永玄子

 

 

  「心に残る句」に徳永玄子先生の「遥かなる町の灯点る夕桜」を選ばせて頂きました。
掲句の句碑は、私たち庄集落の高台にあり、十輪寺境内に建てられています。
大先輩の萩山五郎様ご夫婦の発案で、句友の皆々様のお志があり句碑が建立されました。
十輪寺境内から見下ろす瀬戸内海、風早郷は、桜が咲き始めると町の灯が点り、それはそれは美しく、心の休まる場所であります。


 庄に生まれ、その美しさを眺めつつ育った私は、見事に詠まれたこのお句が大好きです。
この十輪寺は、昔から俳句が盛んに行なわれておりまして、村上杏史先生もお越し下さり、先輩の皆さま方と俳句をされていたとお聞きしております。
その由緒あるお寺に玄子先生の句碑が建立されましたことは、この上もなく喜ばしいことです。

 


   この十輪寺も時代と共に少しずつ変りつつありますが、この絶景の町の灯りは昔も今も今後も変ることなく、美しい眺めを見せてくれることと思います。
発足してから三十数年になりますが、私は変ることなく月日ばかりが経ち、あっという間の三十数年でした。
十輪寺に足を運ぶと、先生の句碑が語りかけ見守って下さっているように思います。
これからも先生を中心に、共に心寄せ合い、俳句を楽しく学びたいと思っております。
俳句がいつまでも出来ますように、感謝をこめて!!




一句鑑賞    山村千惠子

高木石子の一句鑑賞−句集「顕花」−

 

 

魚棚といふ東風の町匂ひつつ      石子

 

  魚棚は魚屋の意味だが、明石にはそのままの名の有名な商店街がある。何軒か明石焼きの店もあるが、鮮魚店が軒を連ねて新鮮な魚目当ての多くの買物客が訪れる。ことに近年は春のいかなごが解禁になるとニュースにのぼる。折しも東風の季節、港の近いこの町を、魚の匂いと人々の活気のごちゃまぜの中を歩いて行く作者。




     

 

  

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