七月号(H30)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  ビール

  

  冷たいビールをグラスに満たし、一気に飲む爽快さ。正に夏に相応しい飲みものである。
さてそのビールの発祥はメソポタミアとエジプトであると確認されている。はじめ、麦は水で煮て粥として食されていた。それがたまたま空気中の菌により発酵し、膨らんでパンになったり、ビールが出来たと考えられている。ビールに関する記述で最も古いものでは、旧約聖書のノアの方舟の原形とされる、ギルガメシュの物語において、赤ワイン、白ワイン、そしてビールを与えたと記されている。紀元前四千年前後のことである。記録を別とすれば、麦の栽培はすでに新石器時代辺りから行われており、ビールの歴史は七、八千年前といったところであるとされている。

 

  ビールという名称が使われるようになったのは、十六世紀以降。フランス語ではビエール、英語ではビア、スペインではセルヴェーサと呼び、古代の女神を思わせる名前で呼んでいる。その後ドイツでホップ栽培がはじまり、今でいうあの苦味のあるビールとなったのである。

 

 

  日本のビールは明治初期にアメリカ人による本格醸造が開始され、その後日本人によるビール醸造へと続いた。今では誰もが飲む手軽な飲みものであるが、当時は高級品。一般人が飲めるような飲みものではなかったらしい。

 

 夏の夜のビアガーデンで一杯。うーん、たまらないひと時。と思われるが、下戸の私はノンアルコールビールでお相伴。ちょっと損した気分である


人生を二倍愉快にしてビール       しぐれ

 

 



 雲母の小筥(囀・桜貝を詠む)    松田吉上

 

  十代のさよならの色桜貝       西尾澄子

 


松田吉上の寸評

 

  「桜貝」の句には、恋や青春との組合せが多かった。掲句も内容はそうなのであるが、上五中七の措辞がそれらの言葉を避け、憎いくらいに別の表現で躱している。「十代のさよならの色」とは桜貝の薄紅色を指しているのだが、この表現が言葉以上の想像力を我々から引き出させるので、読者は自らの十代の終りを重ね合わせて鑑賞してしまう。詩的で抒情味豊か、懐深い作風である。

 

 

 




   囀の城へ巨石の門潜る       田佐土子


松田吉上の寸評

 

  巨石の門のある城だから、吟行でもお馴染みの大阪城であろう。秀吉が築城する際には、各地の家臣たちが我先に城垣にする巨石を運び込んで来た。今も城裏の捨石には、前田や島津などの刻印が残っている。その巨石の門を潜り、囀の城苑へ入ったと詠う。
囀という柔、城という剛。囀という動、城という静。囀という今、城という歴史。最適な取合せと平明な表現が、バランスのよい「詩」を生んだ。





心に残る句    須谷友美子     

 

 露の世を生きゆく証五七五       多田羅初美

 

 

  未央(平成二十九年十二月号)の巻頭に掲句を拝見した時、私は息を呑みました。そしてしばらくその十七文字を見つめていました。
「まさしく初美先生だ!この句の中に先生がいらっしゃる!」
言葉にするとすれば、こういうことでしょうか。

 

私が初美先生のもとで一から俳句の勉強をさせて頂く御縁を得て、もうすぐ七年になります。初めの頃の私の句といえば、とにかく季題が一つ入っていて、十七の文字が並んでいるだけの句でしたが、

 


俳句に縁をもてましたのは、近藤六健氏がある句会に誘って下さったのが始まりです。
たしか一昨年の十一月からだったと思います。当初は五七五に言葉を乗せるのが精一杯でした(笑)。
やがてその句会から色々な結社の人との知己が出来、その縁で「未央」にも来させて戴いています。

 「自分の句を活字で見れるのは嬉しいものよ」と、未央誌への投句を勧めて下さいました。そして丁度その頃、開講された「レッツ俳句」へも、「夜だけど・・・、梅田だけど・・・、大丈夫?行ける?」と、心配して下さりながらも、「しぐれ先生にお会いすることができるのよ。先生の選を頂けるのよ。頑張って!」と、大きく背中を押して下さいました。

 

お二人の先生との出会いは、それまでの私を大きく変えてくれました。思いもよらなかった「俳句」という新しい世界。そこはとてつもなく広くて魅力あふれる世界です。
初美先生は「一句入魂」に書いておられます。五七五は、「生き抜く為の欠かせざる良薬であり、麻薬である」と。
この良薬の有り難い効き目を私も実感できるようになってきています。
「生きる証」を十七文字に込めることが出来たなら、どんなに素晴しいことでしょうか。
これからも一句一句、心を込めて作り続けたいと思っています。

 


一句鑑賞    雑賀みどり

吉年虹二の一句鑑賞−句集「狐火」−

 

 

若き恋紙魚に食はれてしまひけり       虹二

 

   青春の日々を綴った日記には、甘酸っぱく切なく、ほろ苦い恋の日々が書き連ねてあったのだろう。だが、半世紀程を経てノートを開くと、その若き日の恋の思い出は無残にも紙魚が食べてしまっていた。
 作者らしいユーモアと些かのペーソスが感じられる一句。




     

 

  

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