八月号(H30)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  

  

  蓮の歴史はきわめて古く、一億年以上前の化石から見つかっている。インドでは五千年前のものと思われる蓮の女神像が発見され、エジプトではピラミッドや王家の谷から蓮の種子が出て、王家の紋章ともなっている。

 

  蓮は仏教と関わりの深い花とされている。インドでは最も神聖な花とされ、仏陀の誕生を告げて花が開き、仏陀は蓮の花に立ち「天上天下唯我独尊」と第一声を上げられたとされる。日本にも仏典と共にインドから伝わったという説もある。仏教では泥水の中から生じ、清浄な花を咲かせる姿が仏の智慧や慈悲の象徴とされている。

 

 

 

また死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想があり、「一蓮托生」という言葉の語源ともなっている。泥水が濃ければ濃いほど蓮の花は大輪の花を咲かせる。それは正に人生も同じこと。辛く哀しい思いがなければ、人間は悟る事が出来ないというのが仏教の教えなのである。泥はこの世界の娑婆をあらわす。泥は私たちの煩悩をあらわす。

そして蓮の花は仏教でいう悟りをあらわしているのだ。旧盆である盂蘭盆会が近づいて来た。蓮の葉にお供物を供えて冥福を祈る。蓮の歴史を考えながら供養をしてみたく思う。


湖の上の一宇の仏白蓮  しぐれ

 

 



 雲母の小筥(更衣・葉桜を詠む)    加藤あや

 

  葉桜やアールグレーとボサノバと        田村文代

 


加藤あやの寸評

 

  空の一端を覆うような、日の光の透ける葉桜の頃の季感を背景に、滋味豊饒な午後のひと時でしょうか。
アールグレーはイギリスの伯爵の名に由来する。香りと風味の高い紅茶の銘柄。ボサノバは、比較的新しいブラジル系のテンポの速いサンバ。高級な紅茶と、心弾むボサノバのリズムとは、何と贅沢なティタイムでしょうか。

 

 

 




   恋人に逢ひに行く日の更衣          多田羅紀子


加藤あやの寸評

 

  誰にでもあるであろう、思い出の一齣とも言えるような一句です。レース模様のパフスリーブに赤い胸飾り、それとも真白い麻のスーツ、それも素敵です。ああ、どれにしようかと決めかねているような表情が見えてくるようです。若い時は過ぎ去るのが早い?大事にしましょう。





心に残る句    坂本信子     

 

 華やげる花には添へぬ愁ひあり        徳永玄子

 

 

  掲句は玄子先生のお父様が亡くなられた後、十輪寺の桜が咲いていた時作られたと記憶しています。この十輪寺は私の住んでいる地区のお寺で、昔は桜の木が沢山あり、花の寺として賑わっておりましたが、大樹となり土塀が危なくなり、残念なことに次々と伐採されてしまいました。今では桜の大樹も数本となりましたが、今もがんばって咲いてくれています。先生がお出でになられた頃は、まだ桜も伐採されていなくて、満開の花をご覧になるにつけ、伐採されてしまう桜を思い、寂しさが一層募ってこられたのだと思います。本来ならきれいだと思える所が、今年ばかりはそうは思えぬ心情を自然と詠まれたのでしょう。余韻の残るお句で、忘れられないお句となっております。

 

この十輪寺へは俳句のご縁で村上杏史先生にも来て頂いており、玄子先生もその頃からご一緒に俳句をされていて、先輩方も沢山おいでになります。その後は、私達が玄子先生にご指導いただいている次第です。
いつしか三十年余り経ちましたが、俳句を始めた頃に先生のお句で

 


           足袋裏に酒ふきかけて祭獅子


という句を拝読した時、勢いのいい獅子舞は滑ってはいけないので、足袋を湿らせるのだとお聞きした時には、そんな細かい仕草まで逃さず句にされているのかと、大変衝撃を受けたことを今でも覚えています。ともあれ、先生にはいつまでもお元気で北条俳句協会の重鎮としてご活躍いただきたいと切に願っております。

 


一句鑑賞    松田吉上

高木石子の一句鑑賞−句集「顕花」−

 

 

ちかぢかと君が顔あり花火の夜        石子

 

  二人で誘い合ってやって来た花火大会。「わっ!上がった、上がった。きれい!」などとはしゃいで、ふと横を見ると愛しい人の横顔が迫っているではないか。花火を見ているのとは又違う別の動悸が始まる。
このまま二人でずっとこうしていたいが、段々花火の終りも近づいて、淋しさが込み上げてくるのである。
心の動きは一切言わずに省略を重ねている。その省略の分だけ、恋の切なさが一句に溢れ返っているのだ。




     

 

  

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