一月号(H31)

主宰の随筆と選後抄  誌友のエッセイ

随筆    ”古壺新酒” 古賀しぐれ

  さらば平成

  

  平成最後の年明けとなった。平成三十一年四月三十日を以って平成の元号は終わり、新しい元号となる。新しい元号はどのようになるのか、楽しみに待たれるところである。

 

 

 

   さて、そもそも元号は中国が始まりとされる。前漢の武帝の時代(紀元前一四〇年)頃に《建元》という元号をつくり、以来、清の時代まで元号は使用された。基本的には一代一元号となってきた。中国王朝の属国であった周辺国でも年号は使用された。そして清の時代が終わり、皇帝による治世から共和制に代わり、それ以来元号は廃止となった。

 

 

 

 

 日本で最初に元号が使用されたのは《大化》(六四五年)で幸徳天皇が即位した際に定められた。文武天皇となり、《大宝》(七〇一)と元号が決められてより、日本では一度も絶えることなく、今日まで元号が使用されている。《大化の改新》《応仁の乱》《明治維新》等々、歴史認識を有し、単なる紀年法以上の意味合いを含んでいる元号。この元号が使われているのは現在日本のみとなっている。

 

 

 

      降る雪や明治は遠くなりにけり中村草田男

 この句のように「昭和・平成は遠くなりにけり」となってしまいそうであるが、それぞれの時代、一つ一つに願いが込め続けられてきた元号。新しい元号と共に、新しい俳句の道を切り開いて歩んでゆきたく思う年の初めである。

 

 

 



 雲母の小筥(爽やか・鉦叩を詠む)    北川栄子

 

  柿をむく世間話もつきたれば         田村文代

 


北川栄子の寸評

 

  柿自体に、鈴生り、たわわ、どこにでも成ると言う庶民的なイメージがある。さんざんおしゃべりをして、ほっとひと息ついた所へ柿の登場である。甘いの甘くないのと、また話が盛り上りそうな気がする。庶民派万歳である。

 

 

 

 




  陵の隅は仮宿稲雀            田佐土子


北川栄子の寸評

 

   昔噺の舌切雀が思い浮かび竹藪のお宿を想像したが、こちらは一斉に現れ一斉に去ってゆく稲雀である。白鷺などは里山を塒にしているのが見てとれるのだが、雀はと言われると首を傾げる。広い御陵の片隅へ引き上げる稲雀を、仮の宿と言われるとなんとなく納得出来る。





心に残る句    北川栄子     

 

 同門子ならざるはなき初湯かな       中村若沙

  俳句を始めて二、三年くらいの時だったでしょうか。磯菜の初句会が宝塚ホテルであった折の御句です。
その前の年は、若沙先生の御自宅で初句会があり私も参加させていただいたのですが、先生の御自宅での初句会はそれが最後となりました。掛蓬莱の下に先生が座ってらした気がします。そして次の年が、宝塚ホテルだったのです。

 

   初句会はよく晴れた風の強い日でした。男の方達は先生と一緒に温泉に入られました。私達女性陣は温泉に入るわけにもいかないので、河原へ降りて吟行していました。窓から上がる湯煙を見つつ、とても羨ましく思った事を覚えています。

 

 


松山からは村上杏史先生も見えられ、お土産に和凧を下さいましたので、特選の方が戴ける事になり、急遽若沙先生も短冊を書いて下さいました。当日、何人かが短冊か凧かを戴きました。

 


  昔は俳句に賞品、景品の類は付けないと言われていましたので、とても珍しい事でした。これも凧のお土産を戴いた御蔭と一同大喜びでした。若沙先生の御句は覚えているのですが、杏史先生の御句は残念ながら思い出せません。
 この頃、やけに昔が懐かしくなり、途切れ途切れの記憶を紡いでおりますが、一方では初心に戻りがんばろうと言う気持も漲っております。

 


一句鑑賞    狩屋可子

吉年虹二の一句鑑賞−句集「狐火」−

 

 

百人に繭玉微動なきしじま        虹二

 

  初句会である。さっきまで華やかな晴着の人たちが御慶を交し、その袖や晴れやかな声でさ揺れていた繭玉が、締切り前の張り詰めた空気の中で微動だにしない。
初句会の緊張感を繭玉に語らせ、「しじま」と仮名書にしてお正月らしいはんなりとした静けさであることも強調している。
平成十三年、七十代後半の作。

 




     

 

  

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