一月号(H31)

未央の俳句

誌友の雑詠    古賀しぐれ選

 

     石庭の石に言問ひ秋惜む        松葉郁子

 

    

 

古賀しぐれの評

  

  探秋会の二日目は東福寺の吟行であった。京都の五山の一つである広大な禅林。古来より紅葉の名所として名高い。その枯山水の庭は究極の美であった。市松模様になった苔と石の造形。そこに配置された石一つ一つに深い意味が含まれているようでもあった。無の心で以って庭と向き合う作者。その石庭の石との存問の時間。俳句を作るというよりも、究極の美を鑑賞して、空っぽになった心から、句心が生まれてくるのをじっと待っているという感じではなかったかと思われる。「石に言問ひ」の表現がそのことを思わせる。禅と俳句。相通じる美というものがあるのだろう。

 

 

 




    鳶の輪にをさまる島の秋祭        松田吉上

 

 

古賀しぐれの評

  

   秋祭は稲の収穫に感謝し守護してくれた田の神が山に帰るのを送る里祭である。高々と舞う鳶の輪に収まるほどの島。小さな小さな島である。連想するに、琵琶湖の沖島ほどの島かと思われる。半農半漁の島では、みんなが顔馴染み。今年の収穫を祝ってのささやかな祭なのであろう。俯瞰したような一句が穏やかな島の暮しを浮かび上がらせる。具体的だが詩的な表現が小さな島の秋を端的に伝えている。


 

 






  東司にも戒律のあり花八手        小井川和子

 

 

古賀しぐれの評 

   巻頭にもあった東福寺の伽藍。大伽藍が立ち並ぶ中に、最も古い東司があった伽藍が遺っている。「東司」は禅寺での便所のこと。戒律の厳しい禅寺では東司を使うにも、さまざまな作法が設けられていたのだ。「花八手」という庭裏に地味に咲き続ける季題と、禅寺の厳しい暮しとが絶妙に響きあっている。現代では考えられない禅林の暮しがこの一句より偲ばれる。

 

 


 

 

 



さくらんぼ(高校生以下の作品)   福本めぐみの評

 

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庭の柿思った以上の甘さだな         小五 山村隼士

 

 


 

福本めぐみの評

  庭で収穫した柿の実をあまり美味しそうだとは思っていなかった作者。売っている物にくらべて小さかったり、無骨だったりして、誰もあまり、手を伸ばさなかったのかもしれません。でも食べてみると意外に美味しくて、今まで庭木という風景でしかなかった柿の木がにわかに身近なものになりました。


 






 

 
紅色で手のような形もみじさん         小五 三原勇真

 

福本めぐみの評

   「もみじ」という唱歌がありますが、今の子どもたちはあまり歌わないかもしれません。その中に「ぱっと広げた赤ちゃんのお手々のようでかわいいな」という歌詞があります。作者もまたそのように感じたのです。そして、親しく「もみじさん」と言ったのです。



 


いねかりのあとのごはんはおいしいよ       小四 難波美帆

 

 

福本めぐみの評

  いねかりという、とてもしんどい労働をしたあとのご飯がおいしいという、当たり前の感動を素直に感じることのできる経験は大切なことです。それを素直に言葉にするということは心が豊かになるということです。

 


 

 

 

 

さくらんぼの句

  

        さくらんぼの句   福本めぐみの評

 

 

秋晴やずーっと勉強ばかりして      中三 本城由比奈

 クラブ活動を引退して今は受験勉強中の身。こんなに晴れて空気も澄んで抜けるような青空なのに勉強机に向かっている自分。今、やらなければならない事とやりたい事の間で秋晴とは反対に心は曇り空のようです。その気持ち、もっと俳句にぶつけてください。俳句はどんな気持ちも受け止めてくれます。

 

群れの後遅刻してきた渡り鳥        中一 山村真市

一群の渡り鳥のあと必ず二、三羽遅れてくる子がいます。鳥年齢だと子ではないかもしれませんが。ちょっと、おっとりしている子、寄り道しちゃうやんちゃな子、やばい!遅刻や!とあわてて追いついて来る子。なんとなく、自分の身の周りの子や、自分にその姿を重ねてみると面白く思われます。

 

庭の柿思った以上の甘さだな         小五 山村隼士

庭で収穫した柿の実をあまり美味しそうだとは思っていなかった作者。売っている物にくらべて小さかったり、無骨だったりして、誰もあまり、手を伸ばさなかったのかもしれません。でも食べてみると意外に美味しくて、今まで庭木という風景でしかなかった柿の木がにわかに身近なものになりました。

 

紅色で手のような形もみじさん         小五 三原勇真

「もみじ」という唱歌がありますが、今の子どもたちはあまり歌わないかもしれません。その中に「ぱっと広げた赤ちゃんのお手々のようでかわいいな」という歌詞があります。作者もまたそのように感じたのです。そして、親しく「もみじさん」と言ったのです。

 

秋晴につらなるタワー大かっさい         小五 倉田 晄

タワーというのは運動会の組体操の「タワー」のこと。投句用紙の裏に絵まで描いて送っていただきました。今は組み体操に取り組む小学校が安全面への配慮からか、少なくなって来ましたが、作者の小学校では取り組まれているのです。リレーに続いて運動会のクライマックスの組体操のタワーが積みあがった時の拍手とかっさいは一生の思い出でになります。

 

いねかりのあとのごはんはおいしいよ       小四 難波美帆

いねかりという、とてもしんどい労働をしたあとのご飯がおいしいという、当たり前の感動を素直に感じることのできる経験は大切なことです。それを素直に言葉にするということは心が豊かになるということです。

 

どんぐりはぼうしがあるとラッキーだ        小四 山村竜暉

なぜ、ぼうしがあるとラッキーなのかな。クヌギやカシ、コナラなどの実をどんぐりと言っていて、その帽子は殻斗(かくと)と呼ばれるものです。小さい頃から帽子といってどんぐりと一緒に見つけるとかわいい顔にみえてきたり工作に使えたりしました。なるほど、こう考えると、本当にラッキーです。

 

秋の朝ふとんのつなひきとりあいこ        小三 三原咲月

少し寒く感じる秋の朝なのです。まだ、本当のふとんがでていないようなころです。もうちょっとねていたい気持ちがだれかとふとんのとりあいこをしているところに出ています。

 

大声でうんどう会をもり上げる           小二 倉田智浩

「もり上げる」その気持ちがいいですね!きょうぎに出場する人もおうえんする人もみんながひとつになることが、うんどうかいのたのしみ方です。

 

かまきりの顔は三角目は丸い            小二 難波孝太朗

じっさいに、かまきりを見てかんじたのです。えをかくようになにかをじっとみることが、とてもたいせつなことです。そして、さまざまなことをはっけんできるのです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                             霜の花

                             


 

       

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